2012年1月31日 (火)

パターナリズム

  パターナリズム(英: paternalism)とは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるようにと、本人の意志に反して行動に介入・干渉することをいう。
<中略>
とくに国家と個人の関係に即していうならば、パターナリズムとは、個人の利益を保護するためであるとして、国家が個人の生活に干渉し、あるいは、その自由・権利に制限を加えることを正当化する原理である。
<ウィキペディア>

たとえば

  世帯所得が年200万円に満たない人は、比較的高い収入のある人に比べて野菜を食べる量が少なかったり、運動の習慣がなかったりと、生活に問題がある傾向があることが、厚生労働省が31日公表した国民健康・栄養調査で分かった。(時事通信1月31日)

  調査の結果をふまえて、厚生労働省は低所得者も野菜を食べ、運動をしなさい、という方向にもっていきたいのだろう。受け取る側が「なるほど、もっともだ」と思えば、そうしたキャンペーンも実を結ぶが、「ケッ。上から目線で言いやがって。余計なお世話じゃねえか」と不快に感じるなら広がりは見せないだろう。見下したような言い方が得意な医者や役人もいるが、効果を重視するならば、言い方を工夫しなければならない。対人関係では重要な技術である。
  高学歴、都会的、高収入・・・と見られがちな人は、他人を説得することがなかなか難しいような気がする。見るからにきれいでスタイルのいい人が、「えー、本当に何もしてないんですよ」なんて言うと、「ケッ」と思う人が多いのではないか?

  介護福祉士の資格を取るために、働きながら難しい試験勉強に取り組むインドネシアの女性がよく報道されるが、日常のお年寄りに接する態度が非常に好感が持てる。対人関係という点においては、むしろ彼女たちに学ぶべきことが多い。素朴で、清潔で、嫌みがなく、あまり都会的ではなく、けっして収入は高くないが頑張っている・・・こういう人が他人を動かす力があるのではないだろうか。とすると、政治家や高級官僚は不適格じゃないのかな。

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2012年1月30日 (月)

大河ドラマのネタ

  「平清盛」は視聴率が伸び悩み、兵庫県知事の発言は別としても賛否両論であるようだが、私は面白いと感じている。「平清盛」は比較的珍しい題材だが、だいたい定番は戦国時代や幕末であり、何人もの信長、何人もの秀吉を日本人は見ていることになる。藤沢周平の短編小説は映画向きだろうが、一人の人物の生涯を描くには、大河が適しているような気もする。これまで取り上げられていない題材をいくつか提案する。

1)天正遣欧少年使節
  ローマに派遣された4人の少年の生涯を描く。セミナリオの中からイケメンを選抜したというから、ジャニーズ系の美少年が演じても構わないと思う。中浦ジュリアンは65歳で、穴吊りで殉教したり、千々石ミゲルは棄教したり、原マルチノは追放されてマカオで死亡したりと、波乱万丈の人生はドラマ化しやすいのでは?

2)「Shogun」のリメイク
  リーフデ号で漂着したウィリアム・アダムズとヤン・ヨーステンの生涯を描く。「Shogun」はフィクションであったが、大河では史実に基づいて描くことにする。

3)黒人のサムライ
  信長に仕えた弥助は謎が多いが、フィクションでふくらませて描く

4)山田長政
  タイのアユタヤ王朝で国王に仕えた。日泰共同製作

5)阿倍仲麻呂
  唐で科挙に合格し、玄宗に仕え、李白とも親交があった。日中共同制作。楊貴妃はリン・チーリン。

6)宗教関係者
  公共放送ではタブーだろうか。空海、鑑真、行基、親鸞、日蓮などをとりあげると、その宗派以外からクレームがつくのだろうか。

7)日本神話
  これもタブーだろうか。ヤマタノオロチをCGで描く。

8)その他
  松尾芭蕉、伊能忠敬、間宮林蔵、など、日本史の教科書に出てくる地味目な人物を扱う。

  視聴率を考えると、やはり戦国時代や幕末になってしまうのだろうか。沖縄の琉神マブヤーのように、ご当地の英雄を取り上げ、各支局で低予算で作るというのはどうだろう。多分、つまらないと思うが。

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2012年1月29日 (日)

個人情報

   個人情報には、氏名、性別、生年月日、住所、携帯電話の番号、勤務場所、年収、家族構成、写真、IPアドレスなどがあるが、たとえば次の人事異動でどんな奴が自分の職場に来るか、我が子の結婚相手はどんな人間か知りたい、というケースでは「美人かブスか」「頭がいいか悪いか」「仕事ができるかできないか」「親は資産家か、貧乏か」「性格はいいか悪いか」「異常な性癖はないか」といった個人情報が重要になる。学歴がわかっても、ほとんど意味がない場合が多い。いい悪いは全く別として、これらの情報を数値化して人間関係に生かしたとしたら、どのような世界が出現するだろうか。

1)適材適所の仕事に就くことができる。
2)性格が一致した人と結婚することができる。
3)コンプレックス商法の企業が、ピンポイントで顧客を獲得できる。

   選手としては三流だったが、監督としては一流という人を見抜くことができたり、「性格の不一致」による離婚が減少したり、業者はハゲやメタボの人たちに直接勧誘電話をかけることができるのだ。

   共通番号制に対しては賛否両論だが、「私はそんなものから除外してくれ」「いいからほっといてくれ」という人々はほっとくわけにはいかないものだろうか。多分「そんなことを許したら共通番号制の意味がなくなります(このド素人が!)」などと言われてしまうのだろう。

(SF)少子化対策として政府は結婚省を設立、全ての個人情報を入手し、ベストなカップルを選んで強制的に結婚させるのであった。結婚を拒否した場合は罰金、懲役が待っている。かくしてこの世界から恋愛は消えてしまったのであった。タイトルは「愛のない世界」…ウケないとは思うが。

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2012年1月28日 (土)

追いつめられる快楽

  エイリアンやモンスターに追い詰められるイメージが深いなら、こう繰り返して映画がつくられるわけはない。インデペンデンス・デーや宇宙戦争のように、人間が反撃をする快感もあるかもしれないが、「スカイライン―征服―」や「クローバーフィールド」は人間がやられっぱなしの映画である。「スカイライン」の方は、「くだらない」とか「見ない方がいい」などと酷評されているようだが、私は「追いつめられる快楽」のようなものを感じた。オニにみつからないように息をひそめるかくれんぼの快楽である。しかも見知らぬ世界ではなく、日常的な世界、特に自宅にいて、恐ろしいものが自分を探そうとしているというシチュエーションは私は大好きであり、たまに夢に出てくる情景でもある。悪夢ではなくて、ワクワクする夢である。草食動物が肉食動物に仕留められた瞬間はエクスタシー状態になっている、という説を聞いたこともあるが、われわれにもハンティングの快楽とは逆の、「追いつめられる快楽」があると思う。個人的な嗜好かもしれないが、私はこの映画は面白かった。スジや整合性や心理描写など、どうでもいい映画だと思う。

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2012年1月27日 (金)

目のやり場

  普段あまり電車には乗らないが、久しぶりに山手線に乗ると、半数以上の乗客はケータイに目を落としている。それを観察している私の視線に気がつかないようである。電車の中吊り広告は、乗客がお互いに目を会わせる気まずさを緩和する役割があるというが、目を下に落としている者同士では、目のやり場に困るということはない。とすると、以前より中吊り広告の効果はなくなっている。外の景色を見ている者もいないようだが、以前からそうだったのだっけ? ケータイが普及してから、ヤクザが「何ジロジロ見てんだよ」というセリフはあまり聞かれないのか? チンピラが「ガンとばす」「ガンつける」という事例は少なくなったのか? 自分に好意を持っている異性がチラチラとこちらを見ても気がつかなかったりすると、目と目が合うという、基本的な恋愛のきっかけが減少している恐れがあるのだが、はたしてそんな傾向はあるのだろうか。

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2012年1月26日 (木)

リアル昭和村

   日光江戸村、明治村、日本大正村、日本昭和村などが各地につくられているが、たとえば昭和村ならそこの住民が昭和の生活スタイルでリアルに暮らすことにする、というアイディアはどうだろう。電話は携帯電話ではなくて黒電話だし、ブラウン管のテレビで昭和の番組の録画を見たり、映画館では昭和時代の映画を上映する。走る車はスバル360などで、、新幹線は0系である。住民の平均年齢はかなり高くなるが、サービスを提供するのは若者が中心である。文化が混じらないように、ある程度孤立化させなければならないかもしれない。映画のロケ地としても利用できるだろう。昭和といっても戦前からあるわけなので、昭和ひとケタ村とか、昭和30年代村、というように細かく設定してみる。
  今、津波に強い都市が提案されている。人工的な高台の上に一つの街を建設するという案もあるが、海岸に沿って、時代設定を少しずつずらした街を点々と並べるというのはどうだろう。時間的経過を、空間的配列にしていくのである。SF作家のフィリップ・ホセ・ファーマーのリバーワールドのようなものだ。リバーワールドではネアンデルタール人から21世紀の人類まで、合わせて360億人が暮らしている世界である。

  日本全国が同じテンポで流行の最先端をいくことに意味はあるのだろうか。どこへ行っても同じチェーン店、同じファッションじゃつまらないではないか。流行語だって街ごとに違える。今どき「ガチョーン」とか「ゲッツ」が流行している街があったっていいではないか。

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2012年1月25日 (水)

「なぜ自殺してはいけないか」という問に、自殺対策室はどう答えるのか

   精神医学的なアプローチは大いに結構だし、経済の活性化ということも重要だが、「なぜ自殺してはいけないか」という根本的な問に対して、自殺対策室は一体どう回答するのか。

  内閣府の自殺対策室のホームページ http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/
には「もし死にたいと言われたら」という動画がある。

  確かに、その人といっしょに考えることは重要だが、「いや、悩んでいるとかどうか、ということじゃなくて、なぜ自殺してはいけないんですか? 」と相手が質問してきたら、ゲートキーパーはどう答えるのだろう。ゲートキーパーとは「悩んでいる人に気づき、声をかけ、話を聞いて、必要な支援につなげ、見守る人」のことだそうだ。「睡眠とれてますか? 」という応対だと、たとえば思春期の人は納得いかないのではないだろうか。哲学や宗教や芸術がスポッと抜けてしまっている。精神医学や心理学では、底が浅いのではないかと思う。芸術が何で? と思うかもしれないが、答えは必ずしも言語的なものではないこともある。たとえばアルノルト・ベックリンの「死の島」という絵が非常に人気を博したのは、死の意味を知りたいという欲求が関係しているかもしれない。死に興味を持つこと自体は決して非難されるべきものではない。死を話題にしたい人に、「はいはいはい、そういう暗いこと考えるのはやめましょうね」「人生楽しまなくちゃ」じゃ何の解決にもなってないのである。最近、クリント・イーストウッドの「グラントリノ」をもう一度鑑賞した。主人公のウォルトは自分の命を投げ出して、恥ずべき人間たちを成敗したわけだが、あの死に方は自殺なのだろうか? ホームから線路に落ちた人を命がけで救うのは自殺行為なのだろうか。自殺行為というのは、たとえば、大臣が絶対言ってはいけないことをポロリと失言してしまうようなことではないのか? もし自殺行為をそのような類のことであると規定できるなら、「自殺はくだらないからやめなさい」と説得できるのだが・・・

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2012年1月24日 (火)

GKB47

  内閣府は23日、自殺対策推進会議を開き、3月の自殺対策強化月間のキャッチフレーズを「あなたもGKB47宣言! 」としたことを報告した。(中略)GKBとは「ゲートキーパー・ベーシック」の頭文字。ゲートキーパーは「自殺のサインに気付き、話を聞いて専門相談機関につなぐ役割が期待される人」。ベーシックには「専門家以外の一般参加者」を期待する意味があり、これに全国の都道府県数47を組み合わせた
時事通信 1月23日(月)18時46分配信

  そもそも私は「AKB48」という名称は「AK47」との類似で違和感があった。AK47はロシアの「1947年式カラシニコフ自動小銃」だからだ。扱いが簡単なので、少年兵にも持たせる自動小銃である。

  国際人権団体アムネスティ・インターナショナルの調査によると、非正規品を含め約1億丁ほど出回っている。AKはアフリカなど一部の地域では30ドル以下でも購入でき、多数の武装勢力による紛争、テロリスト等に使用され発展途上国で多大な被害をもたらしていると報告した。調査報告書は「AK-47:世界最強の殺人マシーン(The AK-47: the world's favourite killing machine)」と題され、「人類史上最も人を殺した兵器」とも「小さな大量破壊兵器」とも称される事がある。(wikipedia)

  ということである。「GKB」は「AK」とは離れたが、「47」で再び「AK47」に近づいてしまったではないか。詳細はわからないが、自殺にも多く用いられているのではないかと想像する。貧乏な人も入手しやすい銃だから、死にたいと思った時にそばにある確率が高いのではないかと思う。

  ゲートキーパーは「門番」であるが、「ゲートキーパー問題」は、

  ゲートキーパー問題とは、ソニー社内LANのホスト名で他社製品の誹謗中傷や、それに付随した自社製品の宣伝が書き込まれていることが複数のサイトで発覚した問題である。また、この問題を通じてゲートキーパーは ソニーまたは同社の従業員を指すインターネットスラングになった。一般に「GK」と略される。転じてソニー製品や、プレイステーションシリーズの熱心な愛好家を揶揄する蔑称としても使われる。現在では「GK」をもじり「ゴキブリ」と呼称する用法が一般的となっている。(wikipedia)

  ということらしい。きつい言い方になるが、言葉のセンスのない人々は、調べもせずに余分なキャッチフレーズなどを考えない方がよろしい。まさか、自殺対策のゆるキャラなんかを考えたりはしないだろうな、と心配になってくる。

<補足>

 「アイドルグループを意識しなかった、というと嘘になりますが、今回これだけ話題になり、メディアで取り上げていただいたことは、自殺者をなくすための大きなPRになったのではないか、と考えています」

    と自殺対策推進室では話している。

 「あなたもGKB47宣言!」のキャッチフレーズが入ったポスターは現在製作中で、3月には全国に張り出されることになるそうだ。

J-CASTニュース 1月24日(火)18時32分配信

とても恥ずかしい思いである。やめた方がいい、という委員はいなかったのか?

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2012年1月23日 (月)

想念技術 

  想念技術は、人の脳波で機器やコンピュータを直接制御する技術である。脳と機械を結びつける技術がブレイン・マシン・インターフェース(BMI)、脳とコンピュータを直結する技術はブレイン・コンピューター・インターフェース(BCI)というそうである。

  「手をあげる」ということがどういうことなのか、ということを哲学では問題にする。もし、想念技術で義手を動かすことができたなら、その時に義手に送られた信号が「手をあげるという意志である」などと単純に言いがちであるが、心身問題の泥沼にはまり込む危険性はある。エヴァンゲリオンのパイロットは「インターフェイス・ヘッドセット」でエヴァンゲリオンと神経接続されているわけだが、「シンクロ率」によって稼働状況が変わってくるという。この「シンクロ率」が心身問題のキーワードになったりしないだろうか。たとえば体調が悪い時、飲み過ぎた時、自分の体をコントロールするのが難しいが、自分の体と脳のシンクロ率が低い状態だと考えるのである。
  しかし、「私は手をあげたいと思う」と「私は手をあげる」と「手があがる」の違いをどう説明すべきか。

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2012年1月22日 (日)

「物言い」について

   「震災がれき」の受け入れをめぐって各地で騒動です。静岡県島田市の市長はインターネット上で脅迫され、神奈川県の黒岩知事は住民説明会で「帰れコール」をあびました。(テレビ朝日系(ANN) 1月21日(土)21時56分配信)

   黒岩神奈川県知事に対し、住民の一人は「帰れ!帰れ!帰れ!」「私は国の言う『何ベクレル』なんて何も信じちゃいません」「死の町をあちこちにつくるんですか?」
と言い、静岡県島田市長に対しては「2ちゃんねる掲示板」に「暗殺や脅しくらいしか手段がない」「市長のガキが誘拐されたりすれば」などと書き込み、脅迫した団体職員男が書類送検されたという。

   震災がれきを受け入れるかどうかが各自治体の踏み絵のようになってはいけないと思うし、はたして震災がれきを受け入れることが正解かどうか、私にはわからないが、少なくともキレた物言いはその自治体の品格を損なっている。文句を言う前に「私たちも東北地方の人々のためには援助を惜しまないが、少なくとも震災がれき受け入れについてはもっと慎重にした方がいいんじゃないですか? 」とか、モンスターペアレンツも「先生の御苦労もわかります。ただ、この点については学校側にも責任があるのではないでしょうか」という物言いができないのか。
   多分、マスコミはそうした部分をカットして、キレている映像を流すのだろうが、マスコミがそういう傾向を持っているということは十分認識しておいた方がいい。私の職場の会議でも「ちょっといいですかあ」と最初からトップギアでキレる人がいるのだが、やめてもらいたいものである。

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2012年1月21日 (土)

武道の授業は相撲にしたら?

   中学校・高校で武道の授業をやらなければならないが、剣道は防具が高いし、柔道はしっかりとした指導者がいないと怪我が心配である。ろくに使わない柔道着が無駄な気もする。相撲ならばあまり金がかからない。武道場がなければ、砂場や芝生でやればよい。生徒の技量に合わせて、押し出しだけの勝負だとか、組んでから始める、といった工夫ができると思う。ただ、学校出入りのスポーツ店の儲けが薄いという欠点がある。
  他人と組み合って、確かに他人は存在しているのだと確かめられる、エキサイトしても、試合が終われば相手に敬意を払う…これらは教育上好ましいことである。犬だって猫だって、じゃれあって、おたがいに鍛え合うではないか。

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2012年1月20日 (金)

国家目標

  北朝鮮の金日成主席は「白米を食べ、肉のスープを飲み、絹の服を着て、瓦屋根の家に住む」を国家目標にした。アメリカのフーヴァー大統領は「どの鍋にも鶏一羽を、どのガレージにも車二台を」というスローガンで大統領選を勝った。池田勇人首相は所得倍増計画を打ち出した。あまり難しい目標をたてると庶民の共感を呼ばないのかもしれないが、崇高な感じではない。安倍内閣の「美しい国、日本」は崇高かもしれないが、何を目指しているのかよくわからなかった。「消費税を引き上げる」というのは別に国家目標というわけではないかもしれないが、何だか滅入ってくる言葉である。その先に、どのような国をつくりたいかを言ってくれれば「なるほど」と納得するかもしれないのに。誰もが納得する目標というのはなかなか難しいものであるが、日本人が結集できるような目標は何かないだろうか。たとえば自殺者をゼロにする、というのはどうだろう。
 最近、中国、韓国、日本の人々がお互いの悪口を言い合っているようなイメージがあるが、東アジアの人々が共通に目指せるような目標は何かないだろうか。スポーツの世界でも構わないと思うのだが。
 大相撲では、モンゴルの人も、エストニアの人も、ブルガリアの人も、チェコの人も、ブラジルの人も、日本の人も、優勝や勝ち越しという目標を持ってがんばっているが、別に国別対抗でもない、というところが面白い。アフリカ初でイスラム教徒のエジプト出身の力士が誕生したそうだが、北朝鮮からもお相撲さんをスカウトできないものだろうか。「国の威信」なんてことは言わずに、色々な国の人々が自分の出世を目指して頑張っている姿は微笑ましいではないか。

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2012年1月18日 (水)

責任をとるということ

  責任をとるということはどういうことなんだろう。コスタ・コンコルディアの船長、東電の社長、麻原彰晃、民主党の首相…。責任をとったからと言って、亡くなった人が生き返るわけでもないし、放射能汚染が消えるわけでもない。責任をとって自殺しても全く無意味である。センター試験の不手際は、責任者が土下座すれば済むのだろうか? 別に糾弾しようという趣旨ではなくて、「責任をとる」ということの意味がわからなくなってしまった、ということである。
  同じく、復讐をすることもよく考えると何なんだろう、と考えてしまう。一瞬の快感はあるかもしれないが、身内を殺した相手を殺しても、身内が生き返るわけではないし、憎しみの連鎖を生むだけである。しかし仕返しをしないと腰ぬけだと言われてしまう可能性もある。

ガンディーの言葉
「"目には目を"は全世界を盲目にしているのだ」
「私には人に命を捧げる覚悟がある。しかし、人の命を奪う覚悟をさせる大義はどこにもない」(wikipedia マハトマ・ガンディー)

  とは言うものの、大失策をしておきながらのうのうとしている人間がいると酷い目に会わせたくなる欲望は抑えがたい。真珠湾攻撃に合わせて宣戦布告をする予定が、大使館員の怠慢によって間に合わなくなり、日本は卑劣だという烙印を押されたのだが、その後大使館の幹部は出世したのだという。
  何か問題があっても、ついに糾弾されず、何の責任もとらずに人生を終える人がこの世界の多数派なのだろうか。

  サダム・フセインやカダフィはあのような死をもって責任をとったのだと言えるのだろうか。ついに国民から糾弾されずに病死した金正日と比較したら、カダフィの方がまし? そんなこともないだろうが、よくわからなくなってしまった。

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2012年1月17日 (火)

大きさの比較

戦艦大和 全長263m 全幅38.9m 乗員3332名
イージス艦(こんごう型護衛艦) 全長161m 全幅21m 乗員300人
タイタニック号 全長269.1m 全幅28.2m 全高10.5m 船客 1等329人 2等285人 3等710人 乗組員899人
コスタ・コンコルディア  全長290.2m 幅35.5m 船客最大3780名 乗組員1090名
オアシス・オブ・ザ・シーズ 全長361m 幅46.9m 高さ水面より72m
船客最大5400名 乗組員2160名

宇宙戦艦ヤマト 全長265.8m 全幅34.6  乗員114名

U.S.S.エンタープライズ NCC-1701-A(スタートレック)改装後 全長304.8m 全幅141.7m 全高71.3m 乗員500名

エグゼキューター級スター・デストロイヤー(スターウォーズ) 全長19km ※ダース・ベーダーの乗っているスター・デストロイヤーは全長1600m

インデペンデンスデイに登場するUFO 全長24km

  宇宙戦艦ヤマトの乗員が少ないが、清掃、食事、洗濯をする人はいるのだろうか。曜日の感覚を忘れないために金曜日はカレーライスが出るのだろうか。

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2012年1月16日 (月)

絶対間違えてはいけないところで間違える

  センター入試の実施は、原子力発電所に劣らぬほど「絶対間違えてはいけない」仕事であるはずなのに、誰かがヘマをやらかす。普天間基地移設問題は、沖縄住民の感情を逆なでしないように慎重に解決しなければならないのに、大臣が失言をしてヘマをやらかす。私の職場にも、本人はやる気満々だが、いざやらせてみると絶対ヘマをやらかしたり、仕事を放り投げてしまう人がいる。本人の問題というより、そんな人間であることを見抜けずに仕事を依頼する方が悪いのではないか?
  機長も副操縦士もテロリストに撃たれて、ド素人が飛行機の操縦をする羽目になるドラマがある。フィクションではハッピーエンドに終わるのだが、一国の大臣がド素人でいいのか? 難しい心臓の手術を素人がやるようなものではないか? 優秀な官僚がついているから大丈夫? 官僚は顔を見せないから、ちょうど二人羽織をやっているようなものである。手術を二人羽織でやられたらたまらない。

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2012年1月15日 (日)

独裁者が永遠の生命を手にいれたら

 金正日といえども病魔には勝てなかったわけだが、もし遺伝子操作によって不死の人間をつくることに成功し、それを後継者にするならば、世襲制に対する批判を封じることができるだろう。「世襲」じゃなくて、本人が永遠に指導者にとどまるからである。科学技術がまだそうした段階にないとしたら、現在の指導者をサイボーグ化したり、臓器移植を行うことにより、死なない体にする。臓器移植のドナーは全国民を対象とする。「指導者のためなら、喜んで臓器は提供します」ということを、子供のうちから洗脳すればいいのだ。指導者としての資質があるかどうかは二の次である。どうせ、虚像にすぎないからだ。
 麻原彰晃が死刑になったとしても、生まれ変わりの思想をでっちあげれば、世界のどこかで「私は麻原の生まれ変わりだ」という者が出現しないとも限らない。たとえばロシアなどの外国で2代目の麻原が生まれるわけだ。ダライ・ラマの場合は先代が亡くなったら、次の代のダライ・ラマに生まれ変わるのだが、もし生きている間に生まれ変わりが行われるならば、麻原が死刑になったときには、すでに成人に達した2代目麻原が出現するかもしれない。麻原が獄中で気がふれたふりをしているというが、それはすでに魂が2代目に移行しているからだ、と説明したりする。しかし、彼は最終解脱者であるから、なぜ生まれ変わるかということの理由をでっちあげなければならないだろう。

オウム真理教モスクワ支部は、一時35000人もの信者数だったというが、その後どうなったのか?

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2012年1月14日 (土)

ウェザリング

  風雨にさらされた実物の外観を模した「汚れ」「風化」などの表現を加える技法である。プラモデルの「通」は、ピカピカの外装ではつまらないので、ウェザリングをほどこす。SF映画の宇宙船もわざと汚れた感じにしてある。
  大河ドラマ「平清盛」に対して兵庫県知事は「あんな汚い画面を日曜日の憩いどきにやらなくてもいい」と批判したが、「汚い画面」と見るか、「ウェザリング」と見るかで評価は分かれる。たとえば子供向けのヒーローは、あまりウェザリングを施さない方がいいのではないだろうか。子供たちはピカピカしたものが好きである。高齢者はどうだろうか。ストーンウォッシュのジーンズや、破れたジーンズを「あんなズボンをはいて」と感じる人もいるだろうが、「テレビでも、旅回りの一座のようにきれいに化粧をした方がいい」と思うかどうかはまた別の話である。
  「歴史をリアルに再現する」ということは一体どういう意味なのだろう。汚せばいい、というものではない。必然性があればノーメイクやヌードもOKという大女優もいるかもしれないが、その必然性とは何か。

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2012年1月13日 (金)

北朝鮮と「1984」

   「(金正日)の哀悼期間中に組織的な集会に参加しなかったり、参加しても顔色をうかがいながら涙を見せなかった人たちに最低6カ月の労働鍛練隊処罰が下されている」という。(中央日報日本語版1月11日)

   ジョージ・オーウェルの小説「1984」の舞台であるオセアニアでは、次のような統制が行われている。(Wikipedia)

1)思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョンによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されている。

2)「人民の敵」エマニュエル・ゴールドスタインに対し、国民は毎日、テレスクリーンを通して彼に対する「二分間憎悪」を行い、彼に対する憎しみを駆り立てる。

3)主人公ウィンストン・スミスは、真理省の役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた。物心ついたころに見た旧体制やオセアニア成立当時の記憶は、記録が絶えず改竄されるため、存在したかどうかすら定かではない。

4)「偉大な兄弟(ビッグ・ブラザー)」は国民が敬愛すべき対象であり、町中の到る所に「偉大な兄弟があなたを見守っている」という言葉とともに彼の写真が張られている。しかし、その正体は謎に包まれており、実在するかどうかすらも定かではない。

   国民が嘘泣きをしているかどうかをチェックできるとすると、北朝鮮はこの小説のオセアニアにかなり近い存在になっている。アメリカ、韓国、日本に対する憎悪を駆り立てること、歴史記録を改竄すること、経験不足の若造を「偉大な兄弟」にまつり立てるが、その実態は誰も知らないこと……まさに「1984」の世界である。
   さらにオセアニアの国民は、ダブルシンク(二重思考)により、矛盾した2つの新年を同時に受け入れることができ、「2足す2は5」ということさえ信じ込むことができるようになるのである。

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2012年1月12日 (木)

成人の条件の提案

   たとえば次の山本五十六の言葉は一つの基準になるのではないか? 男子限定であるが、女子にも通用する言葉である。

苦しいこともあるだろう
言いたいこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
泣きたいこともあるだろう
これらをじっとこらえてゆくのが
男の修行である.

  すぐ「ウザイ」とか「キモイ」と言う人や、指導者が亡くなったからといって大げさに泣きわめくような人は大人にはなれそうもない。きれいな着物を着て、来賓のつまらない教訓話を聞いて、酒を飲んで騒ぐ成人式なんてやめてしまえばいい。たとえ年齢が40、50になっても、すぐキレてプリプリ怒ったりする人は大人の免許証を返上した方がいい。

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2012年1月11日 (水)

16年10カ月

   平田信容疑者は住居を変わるとき以外はほとんど部屋の中にいたのだという。この16年10カ月を過ごすとしたら、次のどれが一番つらいだろう。「美人のパートナーが援助してくれる」という条件は考慮しないことにする。

1)逮捕を恐れて部屋から一歩も出ない
2)刑務所で暮らす
3)辛く屈辱的な仕事を続ける
4)DVを受け続ける。
5)精神病院で暮らす。
6)牢獄で詐病を続ける

   私が実際に経験したのは3の「辛く屈辱的な仕事を続ける」で、「こんなことなら刑務所で暮らした方がましだ」と思ったりするのだが、多分実際には刑務所が楽だ、などということはないのだろう。ただ、刑務所ならば少なくとも逃げ回る必要はないわけだ。6)のように、死刑を恐れて牢獄で気が触れたフリをし続けることは簡単にできるのか、それとも相当の精神力が必要とされるのか? まあ、こんな比較は無意味といえば無意味であるが。
   最初に除外した条件「美人のパートナーが援助してくれる」を考慮するなら、ずっと部屋に閉じこもって生活するのも悪くない。まるで偕老同穴に住むドウケツエビのような暮らしである。

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2012年1月10日 (火)

言いやすいこと

  それぞれ人によって言いやすいことは違う。悪口、ウンチク、お世辞、説教、面白い事、セクハラ、アカハラ、変わってること、自虐ネタ……別に順位をつけても意味はないとは思うが、多分、悪口が一番たやすい。悪口は、本人の前で言う場合と、本人のいない所で言う場合がある。私は本人の前ではとても悪口を言う勇気はないが、それが楽しい人もいるようだ。「みんなガンバロウ」「勇気をもらいました」的な前向きな発言も、誰でも口にできる。本当に頑張っている人は意外とそんなセリフは言わないかもしれない。
  そういう得意ネタのようなものを各人が持っていて、ボケ、ツッコミのように組み合わせがうまくいけばいいが、そうではないと人間関係が悪化する。たとえば悪口ばかり言う人ばかり集めたら、本人たちは楽しいだろうが、その中に他人の悪口を絶対言わない松井秀喜のような人が交じったらノイローゼになってしまうのではないか? 「マツイ、もっと他人の悪口を言わなくちゃ。コミュニケーションは大切だぞ」などと説教されたりするわけだ。
  周囲が「みんなカンバロウ」的な前向きな人ばかりだと、自分のことしか考えない人はさぞかし生きにくいだろう。前向きな人は「それでいいのだ」と思うかもしれないが、「自分のことしか考えないが芸術の才能はすごい」というタイプを見殺しにしてしまう可能性はある。

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2012年1月 9日 (月)

レア・エクスポーツ

  フィンランドの山奥の村で、父親と暮らす少年・ピエタリ。彼は昔の書物から、サンタクロースが本当は恐ろしい姿をしており、子どもたちに拷問したりしていたことを知る。その頃、彼の家からほど近いロシアの山の中では、多国籍企業により、何かの発掘調査が行われていた。発掘調査をのぞいたピエタリは、彼らが埋められたサンタを掘り出そうとしていることに気付いてしまった。やがて、森の中でトナカイの死体が大量に発見され…。(goo 映画)

  主人公のピエタリの顔立ちはアジア人要素もあり、かわいらしい。フィン人の顔立ちだろうか。ビョークの顔立ちに近い感じである。現在のサンタクロースはコカコーラの宣伝からはじまるらしいが、それ以前のヨーロッパではナマハゲのようなものだったのかもしれない。子供たちにウケるように換骨奪胎すると、たとえば原作のゲゲゲの鬼太郎の持っていた世界観がアニメでは消え失せてしまうように、味わいのないものになってしまうだろう。悪い子にはそもそもプレゼントをくれるわけはないのだから、子供を選別する、という作業は当然あっていいはずだ。
  サンタは悪魔かもしれない、という回文がある。サンタはNASAで悪魔として住んでいたのかもしれない。

  A SANTA LIVED AS A DEVIL AT NASA

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2012年1月 8日 (日)

平田信容疑者の眉毛の太さが変わったことが話題になっているが、眉は顔の印象を大きく変えるようだ。眉毛について、いくつか気がついたことをあげると。

①スタートレックのスポックの眉毛と耳を持つと、ほとんど同じ顔に見える。②美男美女の眉毛がオペルのブランドマークになるCMがあったが、美男美女なのかどうか判断がつかなくなった。③ミッキーマウスは眉毛がある場合と、無い場合がある。④ドラえもんには無いが、困った表情、怒った表情の場合、目の中に線が入る。⑤アンパンマンにはあるが、バイキンマンにはない。⑥ゲゲゲの鬼太郎は、マンガの場合は眉毛は無い、もしくは目立たないが、アニメの場合はある。⑦目玉おやじには眉毛がなさそうだが、表情はどうやって表現したのだっけ? いつも冷静だからいいのか?
⑧梅沢富美男が美女に変身するときのポイントの一つは眉だろうか。普段の顔は眉が薄い。

梅沢富美男、明治座舞台上で『化粧』披露!

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2012年1月 6日 (金)

弔意を示すこと

   北朝鮮の朝鮮中央通信は3日、論評を出し、故金正日総書記死去に対し、日本政府が弔意を示さず、在日朝鮮人の弔問を妨害したと主張、北朝鮮への敵対意識を示すものだとし、「わが軍隊と人民は決して許さない」と非難した。(時事通信)

   ということである。このニュースに対するコメントでは「北朝鮮に弔意を示す必要などない」というものが多いようだが、第42代内閣総理大臣鈴木貫太郎には次のようなエピソードがある。少し長くなるが。

   鈴木はルーズベルト大統領死去の報道を知ると、同盟通信社の短波放送により、「今日、アメリカがわが国に対し優勢な戦いを展開しているのは亡き大統領の優れた指導があったからです。私は深い哀悼の意をアメリカ国民の悲しみに送るものであります。しかし、ルーズベルト氏の死によって、アメリカの日本に対する戦争継続の努力が変わるとは考えておりません。我々もまたあなた方アメリカ国民の覇権主義に対し今まで以上に強く戦います」という談話を世界へ発信している。同じ頃、ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーも敗北寸前だったが、ラジオ放送で対照的にルーズベルトを口汚く罵った。アメリカに亡命していたドイツ人作家トーマス・マンは鈴木の談話に深く感動し、英国BBCで「ドイツ国民の皆さん、東洋の国日本にはなお騎士道精神、人間の死への深い敬意と品位が確固として存する。鈴木首相の高らかな言葉の精神に比べ、あなたたちドイツ人は恥ずかしくないですか」と題して声明を発表し、鈴木の武士道精神を称賛した。
(wikipedia)

   今時武士道ですか・・・などと批判する人もいるかもしれないが、現代日本人には確たる行動原理などないわけだから、参考にするのもいいのではないか? たとえば「武士に二言は無い」を政治家の行動原理とするなら、有権者の共感を呼ぶと思う。北朝鮮は社会主義といえども世襲制であるから、武士道精神は受け入れやすいかもしれない。

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2012年1月 5日 (木)

たま駅長

   和歌山電鉄貴志駅(和歌山県紀の川市)で三毛猫のスーパー駅長たま(雌、12歳)の就任5周年を記念した式典が5日開かれ、新たに同じ三毛猫の「ニタマ」(雌、1歳)が登場し、同駅長代行兼伊太祈曽(いだきそ)駅長に任命する辞令が交付された。
毎日新聞 1月5日(木)

   ということである。猫駅長が客を呼べるという点で大いに役立っているとしたら、他の分野でも猫に長になってもらったらどうだろうか。たとえばバクチで多額の損失を出すようなバカ社長にはやめてもらって、猫を社長にする。ネコパンチを利用すれば、ハンコを押すぐらいの仕事はできそうである。売れるか売れないかの最終決断を社長が下すことにより、商品の開発者はプレッシャーを感じることなく、自由な発想をすることができるという。判断に困ったら、猫社長に決断をしてもらって、責任を負ってもらえばよい。猫大臣もいいかもしれない。馬鹿な失言はしないし、報酬も安く済む。難しい仕事は官僚がお膳立てすればよい。政党の党首も猫がいいかもしれない。どうせ誰がやっても「後ろから弾が飛んでくる」という状態でまとまらないのだから、猫で構わないわけだ。首相を猫にすると、外国から「馬鹿にしてるのか」などと言われてしまうので、手始めに観光大使などはどうだろう。

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2012年1月 4日 (水)

ストラディバリウス

  何億円もすることで有名なバイオリンの名器「ストラディバリウス」や「ガルネリ」は、現代のバイオリンと大差ないとする意外な実験結果を仏パリ大学の研究者らが3日、米科学アカデミー紀要で発表した。

バイオリン名器の音色、現代モノと大差なし? 読売新聞 1月4日(水)

   ストラディバリウスの最高価格は4億円、安いバイオリンは1万円からあるが、プロは100万円以上が普通だそうだ。もし音色に大差ないとすると、一体、何に金を払うことになるのか。バイオリニストは単に希少価値ということで高額な金額を払うのではなく、最高の音で演奏をしたいはずである。このケースでは、コストパフォーマンス(費用対効果)は高いと言えるのか、低いと言えるのか。「耳のいいプロにしかその違いがわからない。君たち素人にはわからないだろう」と言えるならば、コストパフォーマンスは高いと言えたのだが、この実験結果が出てもなお、それが成り立つのかどうか。
   ホンキートンクピアノは安酒場の調律が狂ったピアノだが、それが独特の味わいを出す。「音色の良さ」とは別のベクトルだと言えるのだろうか。キース・エマーソンとオスカー・ピーターソンがホンキー・トンク・トレインブルースを演奏している。エマーソンのピアノの音色はわざとホンキー・トンク・ピアノ風にしてあるようだ。軽くて楽しい雰囲気を出すにはホンキー・トンク・ピアノが適している。

Oscar Peterson and Keith Emerson Honkey Tonk Train Blues-1976-Montreal

カリフォルニアのスクリーミング・イーグルというワインは小売り価格40万円、オークションでは5000万円の値段がついたこともあるというが、別に1000円のワインの5万倍美味しいという意味ではない。そもそも購入者は飲んだりしないのだろう。金持ちのステータスという意味なら、5000万円は妥当な金額だろうか。

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2012年1月 3日 (火)

悪役

   黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャーが引退を表明したという。亡くなった上田馬之助やタイガー・ジェット・シンと同様、やさしい心の持ち主だったと言う。だから、悪役ではあったが、悪人ではなかったというわけだ。プロレスは別に勧善懲悪というわけでもないから、悪役が勝ってしまう場合もあるわけだが、PTAから教育的ではない、などとクレームがついたのだっけ? 必ずしも善人顔をした奴が勝利するわけじゃない、ということを子供たちに教えるならば、悪役レスラーは逆に教育的だったのかもしれない。
   昨年日本では、善人顔をした人があふれていて、「元気をあげたい」とか「逆に元気をもらいました」などと言っていたわけだが、善人顔は必ずしも善人じゃないんだよ、ということを子供たちは見破っているだろうか。
   失言する大臣、ブレる政党、不祥事を起こす教師・・・善人顔をしていても、中身は汚いんだよ、ということを子供たちに教える生きた教材と言えないだろうか。

   小沢一郎氏は外見は悪役だけれど、中身は悪人なのだろうか? 時々わざとらしい善人顔をつくることがあるけれど、あれは逆効果であるような気がする。「家政婦のミタ」のような無表情の方が意外と信頼性を演出できるかもしれないのだが。

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2012年1月 2日 (月)

この笑いをどう説明するか

  「絶対笑ってはいけない空港24時」では、ローラが登場する場面が面白かった。別に何のネタもギャクもオチもないのに、どうして笑ってしまうのか。大地真央の場合は、「こんなことやりそうもない大物タレントがこんな馬鹿なことを」という面白さがあったわけだが、ローラの場合はそういうわけでもなさそうだ。彼女は多分、普段通りに喋っているだけだろうし、友達同士で喋っている場合は、確かに楽しいだろうが、爆笑というわけではないだろう。

クイズに答えられないと、パンツ姿の男の尻が近づく
洗濯機の中でラーメンを食べる
ジミー大西の天然の受け答え

  も爆笑を誘うのだが、「つくられた笑い」の域を超えることはできない。ジミー大西の面白さは慣れるに従って薄れていくような気がする。多分、ローラも年々歳を重ねると、さほど面白いとは感じなくなるのだろう。
  「笑点」を面白いと感じる人もいれば、何が面白いのかわからないと感じる人もいる。「モンティパイソン」や「ミスター・ビーン」が全く面白くないと言う若者もいる。コント55号が面白かったと言う人もいるが、私はくどい芸風が大嫌いだった。The Manzaiの結果に対する疑問の声が起きているらしいが、お笑いは、芸術のコンクール同様、コンテストで優劣を決めることに馴染まないのではないか? 

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2012年1月 1日 (日)

殉死

   別に北朝鮮の人をおちょくることが目的ではないし、そうせよ、というわけではないが、指導者の死をあれだけ悲しむ人々の中に、明治天皇崩御の際の乃木大将のように殉死をしようという動きはないのだろうか。古代中国、古代朝鮮半島などでは殉葬が行われたらしい。
   「お前の泣き方は嘘っぽい。本当は将軍様のことを何とも思ってないんだろう」「そんなことはない。将軍様のためだったら死んでみせるぞ」というやり取りがエスカレートして忠義比べとなり、狂信的な人間が死を選んだりはしないのだろうか。そんなことがないとしたら、それは大変良いことである。もし自分の命を賭ける覚悟があるなら、ミサイルを発射しようとする指導者に、死を賭していさめるためにその覚悟をとっておいてほしい。

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2011年12月31日 (土)

テレビを複数で視るときの微妙な雰囲気

   最近は「お茶の間でテレビを視る」家は少ないらしいが、久しぶりに大勢でテレビを見る場合、ちょっと気をつかってしまうことがある。たとえば子供から年寄りまで集まって紅白歌合戦を視るとき、「あ、この歌手はお爺ちゃんは受け付けないだろうな」などと考えると、リラックスしてテレビを視ることができない。私が気にしすぎなのだろうか。そう言えば、私は複数で映画館に行くことができない。Hなビデオを複数で視たことがあったが、お互いに恥ずかしいからか、作品や女優の悪口を言い合って「くだらねえ」という結論に至った。もし個人で鑑賞したら、別の意見になっていたかもしれない。
   皆で盛り上がり、他人の気持ちを気にしなくてもいいのは、スポーツ番組だろうか。ただ、スポーツ選手が登場するバラエティは時として視るに耐えない場合もある。旅とグルメ番組もそうだが、紅白歌合戦も、一応テレビをつけておいて、誰も真面目に見たりしない、というのが複数で視る場合のコツではないだろうか。たとえばサウナ室のテレビや日帰り温泉施設の休憩室のテレビでは、どの番組をやっていても一向に気にならないのは、お客さんの間に「どうせ誰も真面目に見てないよ」という了解ができているからではないだろうか。
  紅白歌合戦は、一体、どのような視聴者を想定しているのだろう。

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2011年12月29日 (木)

前向きなことを言うだけが励ましなのか?

   「元気を与える」「逆に元気をもらった」「一緒にガンバロウ」といった、前向きな言葉がテレビから何度も何度も聞こえてくる。そういうガンバッテいる人から見ると後ろ向きだと批判されるかもしれないのだが、前向きなことを言うだけが励ましであるわけではない。たとえば失恋して失意のどん底にいる人に「ガンバロウ」「もっと素晴らしい人が現れるよ」などという励ましは全く無意味である。うつ病の人に対しては「がんばれ」は禁句だと言われる。被災地の人とうつ病の人を同列に論じてはいけないかもしれないのだが、次のアドバイスは参考になると思う。

   はげましは逆効果 。温かく見守りましょう
“頑張りたくても頑張れない”これがうつ病の患者さんの悩みです。そのため「頑張って」などという励ましの言葉はよけいに患者さんを追い詰めます。ただ、温かく見守ってあげることが何よりも励ましになるのです。

うつ病教室 http://www.utu-net.com/utur/reaction.html

   浅田真央ちゃんは母親の死の悲しみから立ち直り、全日本選手権で優勝したのは見事だが、周囲が十分注意して、ゆっくり休養させるように配慮した方がいいのではないだろうか? 

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2011年12月28日 (水)

テレビ局が違うと方言が消える

   インタビューされる大阪人は、民放では関西弁で喋るのに、NHKでは標準語で喋るような気がする。民放では「コテコテ」「大阪のおばちゃん」「豹柄」といったいかにも大阪を象徴する絵が欲しいようだ。それとも、サービス精神旺盛な関西人は、テレビ局が求めているキャラクターを演じようとしているのだろうか。オネエ言葉もTPOがある。オネエ言葉が許されないシチュエーションもあるようだ。

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2011年12月27日 (火)

北朝鮮のお辞儀

   たとえばオバマ大統領の天皇陛下に対するお辞儀はいかにも不慣れだったが、映像で見る限り、北朝鮮のお辞儀は日本人とほとんど同じである。中国人はこのようなお辞儀はしないような気がするが、別に専門家ではないので、断定はできない。
   最近、両手を腹の前で重ねてヒジを張ってお辞儀をする女性が増えた。デパートやスーパーの店員やアナウンサーなどもこのお辞儀をするのだが、私はどうも気に入らない。

   女性は上体を傾けると同時に、前へ手を合わせる人が多く見られます。女性の手を組んでの礼は、おしとやかにというつもりなのでしょうが、両肩が前に出て、不健康に見えます。また、古流柔術では、急所を守る構えであり、お辞儀としては不適切です。
小笠原流弓馬術礼法のサイト

   ガソリンスタンドの店員の直角に腰を曲げるお辞儀も、私は気に入らない。丁寧すぎて、心がこもってないような感じを受けてしまうのである。むしろ北朝鮮の人のお辞儀の方が素朴で、感じが良いように思う。おおげさな泣き方は好きになれないけれど。

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2011年12月26日 (月)

ロボット闘牛

  闘牛は動物愛護の立場から批判され衰退しているし、沖縄のハブとマングースの戦いも、もはや行われなくなっているが、もしロボット牛、ロボットハブ、ロボットマングースの戦いならば観客は興奮することができるだろうか。それとも、命のやりとりがなければ面白くはないのだろうか。動物は「死ぬ」ことができるが、ロボットは「壊れる」のである。もしロボットが「死ぬ」能力を身に付ければ、ロボット闘牛はわくわくする見世物となるのか? しかし「死ぬ」ことのできるロボットは、もはや機械ではなくて生き物であると言えないだろうか。人間の格闘技ではもちろん、命のやりとりはないわけだが、昔のプロレスは、本当に命のやりとりをしているのではないかと錯覚する場面があった。たとえばタイガー・ジェット・シンがサーベルを持ちだすと、「こいつは気が狂ってる、本当に人を殺すかもしれない」などという錯覚を観客に与える。(実際にはタイガーがサーベルを凶器とする場合は、柄の方で殴ったりするのだ。剣先にテーピングしてあるように見える)
  命のやりとりをするグラディエーターたちの試合は、現在の格闘技には及びもつかないようなスリルと興奮があったのだろうか。映画「リアル・スティール」に登場するロボットの戦いが面白いかどうかは、そのロボットに対する思い入れの度合いにかかってくるのだろうか。

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2011年12月25日 (日)

アンケートは民主的なのか?

   アンケートに答えると景品がもらえたり、豪華プレゼントが当たる、という場合、そのアンケートの信用性はどうなるのだろう。たまに答えるだけならじっくり考えて答えることもできるが、たとえば

”調査漬け”にされる教師
   校長や教頭に対して、学校の中で何がいちばん忙しいかを尋ねてみると、「多くの調査に応じる・回答する」という答えが返ってきます。
   たとえば、給食費の未納問題にしても、いじめや校内暴力の問題にしても、学力問題にしても、全国津津浦々の学校では常に「全校調査」が実施されています。
「教師格差ーダメ教師はなぜ増えるのか」 尾木直樹 角川Oneテーマ21」

   いずれも重要な調査だろうが、

   とくに、中規模クラスの学校はサンプルとして扱われることが多く、アンケートなどの調査が一年間に400ほどにも達するといいます。最も多い学校では、年間600もの調査に応じなければならないそうです。(同上)

   となると、調査に真面目に回答しようという意識が薄らいで、どの質問にも、「とてもよい、よい、ふつう、わるい、とてもわるい」の中の「よい」に○をつけてしまえ、とか、集計するのが面倒なので、調査をやったことにして、結果をでっちあげてしまえ、ということになりかねない。こんなことを言うと叱られるが、私も大抵のアンケートで「ケッ、くだらん」「めんどくせー」という態度でテキトーに回答してきた。私のようなテキトーな人間の割合はどれぐらいいるのだろうか。たとえば内閣支持率のアンケートで、どれぐらいの人がテキトーに答えているのだろう。「菅内閣の時は真剣に不支持を表明した」とか、「野田内閣の場合はよくわからないからテキトーに答えておいた」ということは加味されないのだろうか。いずれにせよ、アンケートをもとに重要な判断をすることには慎重になった方がいい。アンケート結果に従うのは民主主義とは言えない。アンケートと多数決は違う。

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2011年12月24日 (土)

職業別傲慢度数

   どの職場にだって、横柄な人間と、腰の低い人間が混在しているだろうが、その割合は職業によって違いはあるだろうか。次の職業ではどうだろう。

政治家・医者・教師・新聞記者・芸能人・警察官・役人・暴力団

  腰の低い暴力団がいたら面白いが、いるかもしれない。

   スポーツ関係者だと、どの種目に横柄な人間が多いだろう。イメージとは違い、亡くなった上田馬之助氏は心やさしい人物だったようだ。以前弓道に関わったことがあった。弓道は精神修養につながるので、さぞかし人格者ばかりだろうと思ったらとんでもなかった。

   国別だとどうだろう。北朝鮮や中国は横柄さで上位にくるかもしれないが、それは上層部だけかもしれない。日本人は外国から横柄だと思われているのだろうか。

   一度各界代表者による横柄対戦を開催したらどうだろう。本人には内緒で傲慢シーンを隠し撮りして審査員により判定してもらうのだ。

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2011年12月23日 (金)

他人を喜ばせるという生き方

   「自分の人生は何と無意味なんだろう」というニヒリズムを克服する方法の一つは、他人を喜ばせるという生き方ではないだろうか。自ら価値を創造することのできるニーチェ的な超人からすると「生ぬるい」「甘い」「浅い」と言われるかもしれないが、ニーチェが「畜群」と呼ぶ一般大衆が、自分の無意味感に喘いでいる状況を脱するためには、利他的行為が必要なのではないかと考える。私も多分、畜群であるから、お手軽な方法を模索する傾向があるかもしれない。
   自分探しの旅に出ても、自分の目指すものが何であるか、なんてわからない。カウンセラーに相談しても、人生の無意味感に取りつかれた人には心理学は役に立たない。すぐに行動を起こす踏ん切りはつかないかもしれないが、少なくとも利己主義でいる限り、無意味感から脱することはできない。子供たちのヒーローである超人が他人のために活躍する理由は、自分の人生の無意味さから決別しようとしているからではあるまいか?
   ウルトラマンが「M78星雲・光の国」から遠く離れて地球人のために活躍する理由はこれではないだろうか。

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2011年12月22日 (木)

サンタクロースは存在する

  子供にとってはやさしいおじいさんというイメージがあるかもしれないが、おそらく個人の人格を持っているわけではなく、集合体として存在するのだろう。たとえば、サンタクロースの衣装をつけたコンビニの店員も、施設の子供にプレゼントをする職員も、サンタクロースに扮したAV女優も、おそらくサンタクロースの一部なのだろう。衣装をつけた本人はちょっと物悲しい思いをしているのかもしれないが、誰かを喜ばせたいという気持ちは持っているはずだ。たとえば暴力団の組員も、自分の子供のためにはサンタクロースになれるのかもしれない。そういう、この地球上にいる、誰かを喜ばせたいという気持ちを持った何百万人もの人々の総体がサンタクロースだと考えたらどうだろう。神様や悪魔が存在するかどうかは私にはわからないが、サンタクロースは現に存在していると思うのだ。

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クローンで少子化対策

  少子化が進むと年金や社会保障が立ち行かなくなるので、クローン人間を認めるという案はどうだろう。将来的には日本人口の過半数がクローン人間で占められたりするわけである。都道府県ごとに条例でクローン化を認めると、過疎地域では認めるが、過密地域では認められなかったりして、クローン県とそうではない県の対立が生じ、内戦状態になったりする。あるいはクローン人間は「代表なくして課税なし」などというスローガンのもとに、反乱を起こしたりして、クローン人間だけからなる「第二日本」のような国ができたりする。非クローン県は内戦にロボットを投入し、クローン兵士対ロボット兵士の戦闘となる。

  という筋書きの映画はどうだろう。独創的、というほどでもないが。

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2011年12月21日 (水)

クローン世襲

   親が優秀でも、子供や孫がボンクラだったら国は滅んでしまう。哲人皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスの息子、映画「グラディエーター」でおなじみのルキウス・アウレリウス・コンモドゥス・アントニヌスは自ら闘技場で剣闘士や獣を撃ち殺したと言う。では、もしマルクス・アウレリウス・アントニヌスのDNAを保存し、彼のクローンが代々統治するようにしたらどうか。たとえ独裁でも、彼ほどの哲人ならば、変な息子に跡を継がせるよりもましではないか。
北朝鮮の新指導者は陰で「ガキ」と呼ばれているらしいが、おじいさんの金日成にはカリスマ性があったという。ならば錦繍山記念宮殿に安置されている金日成の遺体のDNAをもとに、彼のクローンをつくるというのはどうだろう。
   「そんな馬鹿なことを」と言われるのは承知だが、私は最近、選挙によって本当に優れたリーダーを選出することが可能なのかどうか、ということに疑いを持っている。

※クローンの育ての親が権力を握る可能性があるから、この案は多分うまくいかないだろう。

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2011年12月20日 (火)

世襲させたいという願望

  自分の子孫に自分の地位を継承したいという願望は、生物学的に説明できるのだろうか。たとえば「すぐれた遺伝子を後世に伝える」ということなら、その集団は他の集団より有利な位置を占めることができるかもしれないが、息子や孫が創設者より明らかにボンクラであるというケースが多いような気がする。ボンクラを温存することで、一体何の意味があるのか。ナンバー2の地位の者が世襲したボンクラを操ることで、その集団がまとまればいいが、ナンバー2は大抵自分のことしか考えていないものである。たとえば、「馬鹿」の語源とされる、次のエピソードがある。

   秦の2代皇帝・胡亥の時代、権力をふるった宦官の趙高は謀反を企み、廷臣のうち自分の味方と敵を判別するため一策を案じた。彼は宮中に鹿を曳いてこさせ『珍しい馬が手に入りました』と皇帝に献じた。皇帝は『これは鹿ではないのか』と尋ねたが、趙高が左右の廷臣に『これは馬に相違あるまい?』と聞くと、彼を恐れる者は馬と言い、彼を恐れぬ気骨のある者は鹿と答えた。趙高は後で、鹿と答えた者をすべて殺したという。(wikipedia)

   今北朝鮮では、おおげさにウソ泣きをしないと「鹿と答えた者」とみなされてしまうのかもしれない。劉備亡き後、蜀を継いだ劉禅を教え諭す諸葛孔明のような人物はいないものだろうか。

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2011年12月18日 (日)

質問!

   講演会や研修会の最後に司会者が「まだ少しお時間がありますので、ここで質疑応答に移らせていただきます」と言うと、まず講演者に対するお世辞を言いつつも、今日の講演で触れられなかったことを指摘して、自分の知識を披露したりする質問者が現れることがある。「それは確かに重要なポイントでして」などと講演者が質問者にお世辞を言ったりして、丁度いい時間になるまで応答をする。しかし質問者が「あと一つ」などと時間を超過してしつこく質問をすると、講演者が有名人ならば時間が延長されるのも我慢できるが、大したことない講演者だと、周囲の人は帰りの電車の時間を気にしだして、早く終わってくれないかと思い始める。
   という無駄な儀式はやめたらどうだろう。もし討論をしたいのならば、時間調整のためにちょこちょこっと質疑応答を入れるのではなく、最初からその予定を組んでディベートをすればよいのである。映画館で映画を見た後、変な司会者がが登場して、「さあ、みなさん、感想をお聞かせください」などと言われたら、二度とその映画館には行きたくない。
   本当に重要な質問というのは、先生のもとに弟子入りして何年か経過してからはじめて許されるようなものではないだろうか。初対面の人間が「先生にとって~とは何でしょう」などというくだらない質問をするのは失礼である。「そんなくだらない質問には答えません」という権利があるのではないだろうか。

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2011年12月17日 (土)

上手い!

   歌が上手い、絵が上手い、字が上手い・・・もちろんほめ言葉なんだろうが、楽しいかどうかはまた別である。素人の上手すぎる歌は、忘年会では拍手喝さいだろうが、いかにも自己満足のためのパフォーマンスくさくて、二曲目を聞きたいとは思わない。「すごすぎて鳥肌が立った」などと評価される歌真似も、プラスαの芸がなければ飽きられる。達筆過ぎて読めない手紙は、確かに有難味はあるかもしれないが、ちょっと鼻につく。相田みつをの、上手いんだか下手なんだかわからない字の方が飽きがこなくてよい。「写真みたい」な上手い絵は部屋に飾っても、多分飽きが早いと思う。笑点のなぞかけで「上手い! 」「きれい! 」と褒められる答は大抵何も面白くないのである。(大物タレントやアナウンサーの素人くさい面白くない答に対して、司会者は「上手い! 」「きれい! 」と言ってやるしかない。)

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2011年12月16日 (金)

「死にたくないという気持ち」に年齢による違いはあるのか?

  生命保険では余命何年ということが問題となるが、「死にたくない」という気持ちの問題はどうなのか。九十九歳の人は「私はもう十分生きた、もう思い残すことはない」という気持ちでいられるものなのか? 若者は「ぼくはまだ結婚もしてない、子供もいない。今死んだら心残りだ。死んでも死に切れない」と感じるものだろうか? 一般的にはそう思われがちである。では、なぜ挫折した若者が死を選ぼうという気持ちを持つのだろう。「死んでも死に切れない」ということは歯止めにはならないのだろうか。九十九歳の人も、挫折した十九歳の人も「自分には未来はない」という感じる点では同じではないか。
   楽しいから生きる、つまらないから死ぬ、意味があるから生きる、意味が無いから死ぬ、生きる甲斐があるから生きる、生きる甲斐がないから死ぬ・・・というわけではないのではないだろうか。

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2011年12月15日 (木)

ギャンブルのスリル

   賭博で賭ける金額が、自分の財産の10%、50%、100%だとする。10%程度にとどめておけば、たとえ負けたとしても身上をつぶすということはないが、賭けのスリルはない。一攫千金を狙うから面白いのである。100億円を右から左へ動かせる人が100万円程度の賭け事では満足できないだろう。「10%以内にしておきなさいよ」という忠告など聞くわけもない。タバコの場合は「喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなります。疫学的な推計によると、喫煙者は肺がんにより死亡する危険性が非喫煙者に比べて約2倍から4倍高くなります。」といった警告がなされるが、たとえばパチンコ店にギャンブル依存症に対する警告の表示があるのだろうか。カジノでは「お客さん、もういいかげんでやめた方がいいですよ」というアドバイスがあるのだろうか。やったことがないからよくわからない。
   スリルのないゲームは楽しくない。ゲーム熱が高まると、どうしても危険な方向に向かう。だから命をかけるゲームが繰り返しテレビドラマや映画の題材になるのだ。

   バラエティーでは「罰ゲーム」が行われる。それが辛い罰であるほど、タレントにとっては「おいしい」ということになる。一般人にとって、そうした辛さは「おいしい」のだろうか?

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2011年12月14日 (水)

セーブする

  ゲームの場合は、ある時点でセーブしておけば、間違った行動をとって失敗しても、その時点に戻ってやり直すことができる。これが現実とゲームの大きな違いである。もし現実をセーブすることができれば、その後の失敗を取り戻すことができるような気がするが、人間万事塞翁が馬であるから、うまくいったかに見えたことが、後に大きな災厄を引き起こすことだって考えられる。たとえば、あの日あの人に思いを伝えておけば、恋愛に発展したかもしれない。しかし、結婚してみたらろくな人間じゃなかったとわかった・・・といったケースでは、最初にうまくいかなかったことで、後の不利益を防ぐことができるわけだ。「先のことはよくわからん」ということで、いちいちセーブしない方が気楽に生きられるような気もする。
   「夜になれば皆眠る」という原則が守られるなら、今日の日は一応セーブして、明日から再び始める、ということが可能だが、自分が眠っている間に事態がどんどん進むような状態だと、おちおちしていられない。
   一度行った選択は二度と変えられないような、待ったなしのルールのゲームだったら、より真剣味が増すだろうか。たとえば賭け事では「ちょっと、待った」がありえないから、皆のめりこんでしまうのではあるまいか。

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2011年12月13日 (火)

ロボットとの不倫は許されるか

   今は単純労働や肉体労働をさせられているロボットだが、やがて芸能や風俗にも進出するだろう。ロボット演歌歌手、ロボット旅回り一座、ロボット玉三郎、ロボット司会者、ロボットキャバクラ・・・たとえばロボットが売春を行ったとすると、それは法に触れるだろうか? おとなのオモチャの「電動きんちゃくシビレフグ」を使ったからといって法に触れるわけもないだろう。ロボット売春婦はおとなのオモチャの延長ではないのか? では、妻子持ちがロボットに恋をしてしまったら、それは不倫と言えるのだろうか? 不倫であると言えるかどうかは、ロボットに自意識があるかないか、ということにかかっているのだろうか? タレントやAV女優に恋してしまう場合はどうだろう。タレントやAV女優はこちらの存在などあずかり知らないわけだし、この恋が成就するわけもない。しかし配偶者や恋人はあまりいい気分ではないかもしれない。では、その対象がアニメやCGだったらどうだろう。配偶者や恋人の嫉妬は空回りだと言えるのだろうか。

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2011年12月12日 (月)

リピーターズ

   脱出不可能な時間迷路に閉じ込められる様を描いた幻覚スリラー。薬物リハビリ施設に入所している3人の若者たち。施設から1日の退院を許され家族の元に戻る。3人とも家庭での問題を抱え和解が課題だった。各々戻るべき場所へ向かうのだが、3人が翌朝目覚める、何と前日と同じ日だった。最初は同じ毎日をいたずらに過ごす3人だったが、時間迷路に翻弄され、暴走し始める… Oriconデータベース

   ニーチェの永遠回帰は宇宙規模の繰り返しだが、「リピーターズ」の場合は局所的、個人的な繰り返しである。タイムトラベルはパラドクスを生むが、「リピーターズ」の場合はどうだろう。もし記憶も含めてリセットされるなら、そもそも「あれ? また同じ日だよ」などと気がつくはずもない。同じ日が繰り返されるのに、主人公の3人は経験を重ね、2人は人間的に成長するが、1人は次第に暴力的になっていく。つまり厳密な繰り返しというわけではない。最初の日をD0(DはDay)として、繰り返される日を

D0、D1、D2、D3・・・・Dn   (1)

   とする。記憶を保持している主人公にとってはD0とD1、D2は異なる日々であるのに、周囲の人間はまったく繰り返しであることに気がついていない、つまりD0,D0、D0・・・ではなくて、単独のD0としてしかとらえられない。
   一般にDVDで映画を再生すると、出演者は何度再生しても、まったく同じ行動をとり続ける。映画を見ている観客には、まるで出演者が何かを感じ、何かを考えているように見えるのだが、彼らは単なる映像なのであって「これは繰り返しである」などとは考えない。しかし観客は「もうこの映画は3回も見たよ」と述べることができるのである。もしわれわれの人生が、誰かの見世物となっているなら、ひょっとして、この人生は何度も繰り返されているのかもしれない。

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2011年12月11日 (日)

いいから、あなたは何もしないでちょうだい!

   発展途上国における子供の労働が問題視されている。

   危険で有害であり、子どもらしい成長を妨げる「児童労働」。 世界の子どもの7人に1人が「児童労働者」と呼ばれる子どもたちです。 経済のグローバル化が進む現在、私たちは児童労働とは無縁ではないのです。
児童労働ネットワーク

   しかし日本では子供に仕事をさせないということが問題であるようだ。

   子どもが動き回ること自体が家庭内の秩序を乱す壊乱的ファクターであるのですから、できればじっとしていて、割り当てられた空間内で静止をしていることが子どもの果たしうる最良の貢献である。そういうふうになっている家庭がたいへんに多いと思うのです。「いいから、あなたは何もしないでちょうだい! 」という母親たちの怒声を僕たちはずいぶん聞き慣れていますけれど、よく考えてみると、「何もするな」というかたちの禁制は僕たちが子どものころにはあまり口にされることのない言葉でした。たとえ子どもの拙い協力であろうとも、ないよりましな仕事がいくらでもあった。「猫の手も借りたい」という事態がしばしばあった。
「下流志向」内田樹 講談社文庫

   子供が手伝えるような家事労働や農作業はあまりない。暴論かもしれないが、公立の子供作業所を設立したらどうか。そこでは効率は求められず、ノルマもない。失敗しても責任を追及されることはない。労働した分の賃金は子供に支払われ、学資の足しにすることができる。ボランティア活動でもよい。子供たちが得た収益は世界の飢餓に苦しんでいる子供や、ストリートチルドレンのために使われるのである。児童労働ネットワークに怒られるだろうか。

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2011年12月 9日 (金)

助けあった方が生き延びるのだろうか

ネズミは仲間見捨てない…米大学チーム確認
読売新聞 12月9日
   自分は得するわけでもないのに、困っている仲間を助ける。他人の感情を共有するそんな「共感」の能力をラットも備えていることが、米シカゴ大学チームの実験でわかった。人以外では、これまでサルでしか確認されていなかったという。9日付の米科学誌サイエンスで発表した。実験では、まず、わなの扉を外から頭で押して開けられるようにラットを訓練。そして1匹のラットをわなに閉じこめると、訓練を受けたラットは扉を開けて仲間を救出した。わなの外にチョコレートがあるときも、自分が独り占めできなくなるのを承知でラットは扉を開けてやった。出てきたラットと接触できないようにしても行動は変わらず、仲間と一緒にいたいという自分の一方的な望みが動機でもないらしい。雌の方が仲間を助ける傾向が強かった。

 個人の利益を犠牲にしても仲間を助ける方が、種の保存という点から見ると有利であるということだろうか。次のA、Bのうち、どちらがグループ全体としては生き残るだろう。

A メンバー内で敵対的
B メンバー内で宥和的

 さらに、対外的には次のように分類する
1 侵略的
2 平和的。

 組み合わせると

A1 メンバー内で敵対的関係、侵略的
A2 メンバー内で敵対的関係、平和的
B1 メンバー内で宥和的、侵略的
B2 メンバー内で宥和的、平和的

 たとえばナチスはA1なのか? ユダヤ人虐待が、アーリア人の団結をうながすためだとすると、B1かもしれない。旧日本軍はどうか? いじめの体質があったという意見もあるが、自己犠牲によって国民を守ろうとしたという見方もある。

※ルールを守る、礼儀を守る、という態度が徹底すれば、友好的でありつつも切磋琢磨することが可能であるように思う。

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2011年12月 8日 (木)

卒業アルバム

  凶悪事件の容疑者や被害者の写真が入手困難なときに、高校時代の卒業アルバムの写真が使われることがある。ニコニコ笑っている顔が痛々しい。特に指名手配の場合はニコニコ顔では見つけにくいだろうから、アルバム作成時に真面目顔とニコニコ顔の二種類を掲載したらどうだろう。あるいは、今の技術ならば、写真にタッチすると表情が変わる、という技術だって可能かもしれない。下のPVでは亜美由美の幼い頃の写真も載っているが、一枚の写真に子供から大人まで連続的に変化する写真も可能だろう。
  クラスメイトから凶悪犯を出したクラスの同級生は、それを他人に見せようとするものだろうか? 先生が犯罪者となった場合はどうだろう。二度とアルバムを開く気は起きないものだろうか。

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2011年12月 2日 (金)

外国人スポーツ選手の刺青がきたない

   ロシアの男子バレーの選手が腕に刺青をしているのだが「なんじゃこりゃ」という出来栄えである。曙の刺青もだんだんと増殖していくようだが、いくら皮膚の面積が広いといっても、何のプランもなしにイタズラ描きのように増やしていくのは考えものである。
   別に日本のヤクザを称賛するわけではないが、ヤクザの刺青には図柄も色彩も見事なものがある。学生時代、銭湯で刺青に見とれていたら「なんだてめえ、アコギな顔しやがって」などと叱られてしまった。あまりジロジロ見てはいけないのだろう。つまり、観賞用というわけでもないのだ。
   広告料をもらって、企業の広告などを入れたらどうだろう。風呂桶のように「ケロリン」などと入れれば、日帰り入浴施設でも断られないのではないだろうか。

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2011年11月30日 (水)

心からお詫びをする

   失言をした時に「心からお詫びをする」と言うのだが、「心からお詫びをする」ということを口先で言っても説得力はない。土下座や辞任や切腹も、確かに形には見えるのだが、どうしてそれが「心から」であるということの証拠になるのだろうか。切腹は確かにきつい行為ではあるけれど、「痛さ」や「とりかえしのつかなさ」が「心から」を表現できていると、どうして言えるのだろう。「カノッサの屈辱」では、皇帝ハインリヒ4世はグレゴリウス7世の破門を解いてもらうために、雪の中を三日三晩裸足で立ちつくしたそうだが、その後の行動を見ると、どうも「心から」謝罪していたわけではないように思う。

   「心から愛してる」はどうだろう。高額な宝石を贈ったり、がんばって試合に勝つ、という表現もあるだろうが、どうしてそれが「心から」のものであることの証拠になるのだろうか。ドラマなどでは「その目は嘘をついている目ではない」という安易な判定法が用いられるが、相手が一枚上手ならば「心から」の演技は可能である。
   「心から」の表現は、心身問題の一つの切り口になるのではないだろうか。

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2011年11月28日 (月)

身上をつぶす

   嫉妬心もあってか、大富豪の御曹司に対して厳しい見方をする傾向が強いのだが、御曹司には御曹司の社会的な役割がある。庶民にはラーメンの食べ歩きぐらいしかできないが、御曹司は世界の最高級の料理を食べ歩く義務がある。芸術家のパトロンにもなってほしいし、豪邸も建ててもらいたい。
   博打に金を使うのもありかもしれないが、バカラを密室でやるのではなく、テレビカメラを入れて「のるかそるか」「一か八か」の大勝負を見せれば国民的なエンターテイメントになる。バカな御曹司が身上をつぶすのを見るのは教育的効果が高いかもしれない。
   お金持ちのテレビ出演が難しいなら、たとえば一般庶民がパチンコでどのように身上をつぶすか、というドキュメンタリーはどうだろう。パチンコ業界の反発はあるだろうが。若者向けに麻薬撲滅、酒・タバコの害を説く講演会はあるが、賭け事の弊害に注意を向けさせる機会はあるのだろうか? 商売の妨害をするな、と苦情が出るのだろうか? 

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2011年11月26日 (土)

死刑以上

  「死刑なんて生易しい」と感じられる人間、たとえば麻原彰晃を苦しめるために、「同室にする」という方法はどうだろう。同室にする人間はたとえば彼の弟子たちである。まったく喋ろうとしない麻原に、「おい、いいかげんで仮病はやめろよ! 」などと弟子がキレて髪の毛をつかんでひきずり回したりすることを認める(見て見ぬふりをする)のである。もし彼がゴキブリやクモがきらいなら、ルームメイトに加えてもよい。

  「鋸挽き」という方法もある。

  復讐刑としての意味合いも強く、縛り付けた罪人の首に浅く傷をつけ、その血をつけた鋸を近くに置いて、被害者親族や通行人に一回か二回ずつ挽かせ、ゆっくりと死なせる刑罰であり、江戸時代より以前には実際に首を鋸で挽かせていた。 さらには罪人を逆さに固定し、股から逆に身体を挽くことでさらに苦痛を長引かせることもあった。(wikipedia)

  彼は空中浮揚ができるそうだから、絞首刑は難しい。

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2011年11月25日 (金)

ジャッジをロボットにまかせる

ジャッジをロボットにまかせる

   スポーツの審判やレフェリーをロボットにまかせられるだろうか。線審ならば問題ないだろう。相撲の審判もビデオを参考にしているぐらいだから、別に問題はないかもしれない。しかし、試合の進行を考えて反則を厳しくとったり、甘くしたり、ということは可能だろうか。「この試合はすこし荒れてきたな」という判断ができるようにプログラムできれば別に問題はないだろう。
   美術コンクールやミスコンはどうか? 美術の場合は「独創性」が重要だが、独創性をロボットは評価できるだろうか。ミスコンは異性にどうアピールするか、ということが重要だと思われるが、たとえばアシモの性別はどちらなんだろう。少年のようなイメージを持っているのだが、性別は特にないのだろうか。

ロボットに賃金を与えるべきか

   ロボットという語は「無賃労働者」という意味らしいが、奴隷ではなくて自由な労働者という位置づけがされるようになった場合、ロボットにも賃金を与えるべきだ、ということが論議されるのではないだろうか。最初はロボットの派遣会社のようなものから出発するのかもしれないが。

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2011年11月23日 (水)

毒虫対決

   世界虫王決定戦「昆虫K-1」という映像をYoutubeで見ることができる。スズメバチ対サソリとか、ムカデ対カマキリといった対戦だが、いくら毒虫でも無益な戦いを強いられるのはかわいそうな気もする。私が見た限りでは、スズメバチが最強のようだが、本当にそうなのかどうかはわからない。虫の対決に飽きたら、強烈な人間や毒を持った人間の対決を実現させたらどうだろう。職場で、学校で、いばりくさった人や、すぐキレる人というのはいくらでも見つかると思う。本人には内緒で選手に仕立て上げ、対決するように仕組むと面白い見世物になるのではないだろうか。毒をもって毒を制するというわけだ。暴力沙汰に発展しないように注意を払いながら、強烈な人格のバトルを楽しもう。
選手候補はたとえば次のような人々である。

小沢一郎、ナベツネ、田中眞紀子、石原慎太郎、金正日、プーチン、島田紳助、泉ピン子、麻原彰晃・・・

   芸能界のドンと暴力団の組長だったらどちらが強いだろう。ホームかアウェイか、という条件も加味しなければならない。「金の力を借りる」とか、「人たらし」といった裏技もありである。

   すぐキレるあの先生と、暴力団だったら、どちらが強いだろう? 

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2011年11月21日 (月)

自由の女神の台座の詩

汝の疲れたる貧しき
自由の空気を吸わんものと
身をよせあう人々を、
汝の豊かな海辺に集まる
うちひしがれた人々を、
我に与えよ。
かかる家なき嵐に弄(もてあそ)ばれたる人々を、
我に送り届けよ。
我は黄金の門戸のかたわらに
ともしびを高くかかげん。

エマ=ラザルス 1881年

  「我に与えよ」「我に送り届けよ」という文が心を打つ。われわれ凡庸な人間は、うちひしがれた人々や嵐に弄ばれた人々が見えないふりをするか、見えているのに無視をするのだ。「自分の生活ですらままならないのに、不幸な人々を呼び寄せてどうするのだ」という苦情は理解できるが、たとえば、決して物質的に豊かではないブータン国民が日本の大震災のことを慮(おもんばか)ってくれている、という事実は我々に生きる力を与えてくれるのである。金額の問題ではない。
  イエスは5つのパンと2匹の魚で5000人を満腹にしたというが、最初は5つのパンと2匹の魚だったとしても、「じゃ、自分も何か出さなければ」という人々が増えれば5000人を満腹にさせることはできるのである。

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2011年11月19日 (土)

掃除は別に苦役ではない

   お掃除ロボットが続々新発売されるそうだが、自宅の掃除ぐらいだったら、別に苦役と言うほどのものではない。ヤクザの見習いは便所掃除をした後でアニキから「じゃ、便器をなめてみろ」と言われるそうだが、まあ、それぐらいだと苦役かもしれないが、修行僧が雑巾がけをするのは苦役と受け取ってはいけないのだろう。「片付けられない人」ならいざ知らず、通常の人は掃除込み、洗濯込み、炊事込みで生きていくのである。風呂に入ったり、飯を食べたり、本を読んだり、恋愛することが面倒だという人は、生きていくのが面倒なのではないだろうか。

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2011年11月17日 (木)

「バーカ」と書かれたら「カメラ」と返す

  週刊文春11月24日号 阿川佐和子のこの人に会いたい
今週のゲストは乙武洋匡氏

乙武 確かに、対面ではあり得ないような、ものすごい言葉を投げつけてくる人もいます。いきない知らない人に「バ~カ」って書かれたり。阿川さんだったら何て返します?
阿川 返さない。布団かぶって寝る(笑)
乙武 僕はそのとき、「カ、カ、カメラ! 」って返したんです(笑)。

   乙武氏のツイッターでの体験である。この作戦は非常に良い。非難の言葉に対するお釈迦様の返答よりも使いやすい。何より説教臭くなくていい。悪口をしりとりにしてしまえばいいのだ。悪口を言う人をギャフンと言わせる返しではなく、笑いに巻き込んでしまうというのは、対人関係の一つの方向性ではないだろうか。

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2011年11月15日 (火)

アシモの歩き方と日本人の歩き方

膝を曲げて、少し前かがみで歩くアシモの歩行は、日本人の伝統的な歩き方に似ているように思う。少なくともかかとから着地する西洋式の歩き方ではない。向こうから来る人を避ける方法も、いかにも低姿勢である。今後アシモは、たとえば弓道の「残心」といった、マニュアル化しにくい動作も習得するだろうか。江戸時代のからくり人形の最高傑作は「弓曳き童子」だそうで、数本の矢を射るのだが、そのうち1本ははずし、当たった時と外れた時の首の動きで喜びと残念な気持ちが表現されるのだそうだ。
表情を浮かべるロボットもいるが、動作で感情を表現する方が「不気味の谷」現象はないように思う。

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2011年11月13日 (日)

4人テニス

   小学校時代の休み時間にさかんにやった記憶がある。田の字型のコートに1,2,3,4の順位がふってあって、上位の者が負けると出世していくのだが、どうなれば最終的に決着がついたのか、という記憶が薄い。延々とゲームをやり続けたのだろうか。
   「花いちもんめ」や「だるまさんがころんだ」も、最終的な決着というものがなかったような気がするが、現実世界の経済活動も、一人勝ちではなく「できるだけ参加者全員が遊びを続けられるようにする」という仕組みにできないものだろうか。
   そんな甘いものじゃないとしても、強豪揃いの全国大会ばかりではなくて、1年生ばかりのチームも参加できる地方予選とか、少年チーム、主婦チーム、といったレベルの経済活動の競合ができないものだろうか。

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2011年11月11日 (金)

シャボン玉

  タバコの代りにシャボン玉はどうだろう。「吸う」と「吹く」の違いは大きいかもしれないが、手持ち無沙汰の時間を埋めるには丁度よい。健康を害することもなく、他人に迷惑をかけることもない。
  嗜癖には物質嗜癖、過程嗜癖、関係嗜癖があるという。物質嗜癖は酒・タバコの類、過程嗜癖にはギャンブル、ショッピング、暴力などがあげられる。関係嗜癖は特定の人間関係に執着する嗜癖だそうである。

  ケータイをいじり続けることが一つの嗜癖となっている人もいるかもしれないが、これもシャボン玉で代替可能ではないか? ただし、電車内ではちょっとまずいだろう。車内アナウンスで「車内でシャボン玉を飛ばすのはおやめください」と言われるかもしれないし、つまらない授業中にシャボン玉をやる生徒が続出し、「学校にシャボン玉を持ってきてはいけません」という校則ができたりするかもしれない。愛好者が増えたところで「シャボン玉税」をつくって税収をアップさせよう。
  石鹸液にストローを浸すというやり方が面倒なら、石鹸液を浸したフィルターをカートリッジ式にして、ワンタッチでシャボン玉が吹けるなら、愛好者を増やせるかもしれない。タバコを吸うよりはシャボン玉の方が女の子や子供には好かれると思うが。

  ケータイ依存症の人のために、ケータイにシャボン玉作成機能を持たせるという方法もある。ハーモニカやピアニカのような機能を持たせるというのもいいかもしれない。ナマの音だと周囲に迷惑がかかるから、電子的なハーモニカにして、ヘッドフォンで音を楽しむ方式にすればいい。

  昔お祭りの露店や駄菓子屋で、「チューブに入った赤いジェル状のものをストローの先につけてふくらませると透明な風船ができる」というものを売っていた。店先に並べられた風船の中にはお札が入っていたりしていたように思う。穴が開くと口でパクッとくわえて補修したのではなかったっけ? 
  「トラバルーン」という名前だそうである。

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2011年11月10日 (木)

新型アシモ

 新型アシモは時速9キロで走行し、ポットのフタを開け、片足飛びをし、手話をする。介護、災害救助、警備、受付といった仕事をさせることが考えられるが、人間の仕事を奪ってしまわないかという懸念もある。アシモはより自律性を高める方向で進化していくのだろうが、人間が装着するタイプの方が、人間の雇用を高めると思う。たとえば、身体に障害を持っている人が歩けたり、物を持ち上げたりできるようにアシストする機械が手軽に利用できれば、障害を持った人が介護の仕事につくことも可能だろう。
 アシモを兵器として利用する動きを今のうち牽制する必要がある。アシモは感情的にならずに淡々と人を殺すことができるだろう。かわいい声で「こんにちわ」とか言って人を殺しまくったらたまらない。それとも、日本の輸出産業として位置づけた方がいいだろうか。民用として輸出しても、結局相手国が武器に転用するだろうが。

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2011年11月 8日 (火)

左右独立に目が動いたら

   両目が連動して動くのは、立体視には重要であるが、常時連動している必要もないのではないか? たとえばカメレオンは左右独立に目が動くが、エサを補足するときは両目が連動しているようだ。もし左右独立に動くならば、右目で携帯を見ながら、左目で前方を見ることが可能だ。自転車に乗りながら、車を運転しながら、歩きながら携帯をいじれるのである。私はそんなことしたいとは思わないが。道行く人がことごとくそんな目で携帯をいじっていたら、かなり馬鹿馬鹿しい光景になるだろう。いや、暇な時間、ほとんどの人間が携帯を見ているという光景も相当馬鹿馬鹿しい。
   目が独立に動いたら意識はどう働くのだろう。テレビの画面が分割されて別々の番組をやっているようなものだろうか。2画面のテレビを視聴して実験してみよう。

1)喜劇と悲劇を同時に見る
2)音楽番組を同時に流す
3)スポーツ番組を同時に流す
4)AVを同時に流す
5)前回と今回のドラマを同時に流す
6)別々のゲームを同時にやる

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2011年11月 6日 (日)

水上生活

タイ洪水:長期化 どっこい水上生活
タイの大洪水で、首都バンコク郊外のバンブアトン地区では1日、すっかり冠水した道路脇の木製ベンチに腰掛けて昼食を取る家族連れの姿があった。
 深刻な状況ながら、子供たちは笑顔で、大人たちの表情も意外に明るいことに驚く。ボートを持ち出して水上タクシーを営む親子や、水上マーケットも登場。「日本の大地震と津波に比べると仕事があるだけ幸せ」。水上タクシーを始めたファールンさん(39)が言った。タイの人々は洪水との共生を模索し始めている。
毎日新聞 2011年11月3日

 東北の人と同じく、タイの人々も忍耐強く生きているらしい。日本においても、かつて水上生活を営む人々がいたという。

 19世紀末頃から、日本各地に寄港する貨物船の大型化が進み、艀を使った舟運が盛んになると、艀の一角を住宅化し一家で居住する船上生活者が現れるようになった。東京では埋め立てが進む前の佃、月島、勝どき周辺に多く見られ、1万人弱を数える規模となっていた。こうした住民の福利厚生を行うために水上会館や水上学校(陸上に建てられた寄宿形式の学校)が建てられたほか、治安を担当する水上警察署などが設置された。(wikipedia)

 1995年の映画「ウォーターワールド」ではの水上要塞やタンカーのバルディーズ号が登場する。水上要塞のセットはユニバーサル・スタジオ・ジャパンにもあるが、巨大な水上都市やノアの方舟のような巨大船舶で水上生活をするなら、津波や洪水の被害は受けにくいのだろうか。巨大な建造物をつくるのが困難なら、「レッドクリフ」の曹操軍の船団のように、船同士を固定できる仕組みにしたらどうだろう。あるいは、一般家屋の屋根の部分が救命ボートになっているというのはどうだろう。災害に対抗する、というより、できるだけ災害をやり過ごす、という発想である。

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2011年11月 4日 (金)

私はホームレスになれるか?

   新宿のホームレスがエベレスト登頂!  週刊文春11月10日号
持っていたお金はわずか百六十円。新宿でホームレスをしていた岩崎圭一さんは、友人からもらったフェリーチケットで韓国へ渡り、それから九年、人の好意と道端で披露する手品で得るささやかなお金で、今も世界を旅している。
移動手段はママチャリだ。それでユーラシア大陸を横断。さらに登山経験がほとんどなかったにもかかわらず、エベレスト登頂も果たしている。

   これだけ行動力のあるホームレスも珍しい。ホームレスでも生きていける資質というものがあるのではないだろうか。「自殺するか、ホームレスになるか」という選択だったら、私ならどちらを選ぶだろう。「そんな選択問題を出すな」とホームレスの人に叱られてしまうかもしれない。では、次の選択はどうだろう。

1)大都会でホームレスになるか、無人島で生きるか。
2)屈辱的な仕事を強いられるか、ホームレスになるか。
3)没落してホームレスになるか、若い頃からホームレスか。
4)余命半年と宣告されるか、ホームレスになるか。
5)豪華客船で世界一周をするか、ママチャリで世界一周をするか。

5)はそれほど大きな差があるようにも思えない。ママチャリで世界一周できる環境というのもある種、恵まれていると考えられないだろうか。

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2011年11月 2日 (水)

ギリシア支援

   世界史の授業ではギリシアは教科書の最初の方のハイライトである。エジプトも有名だが、高校レベルの1学期の中間テストに出題するにはちょっと物足りない。やはりギリシアやローマをやっていないと、テストにはならない。ということで、ギリシアにお世話になっている歴史の先生や受験生がギリシア支援に立ち上がるというのはどうだ? 日本人にもソロンの改革とか、クレイステネスの改革なんかはおなじみだろう。それともギリシアの問題には苦しめられた?
   ギリシア神話にもお世話になっている。多くの商品名がギリシア神話からパクっている。紀元前だからいいだろう、などといわずに、使用料をギリシアに支払ったらどうだろう。

   国立天文台などの研究チームは1日、くじら座方向に約118億光年離れた宇宙で、1年に数千個のペースで星を生み出す「モンスター銀河」より10倍以上明るい「超モンスター銀河」を発見したと発表した。モンスター銀河の頂点に立つとして、日本神話に登場する「ヤマタノオロチ」にちなみ「オロチ」と命名された。
(時事通信)

   ギリシア神話の名称はもう使い尽くされたのかもしれない。日本神話ならまだ使われていない名称があるだろうか。オロチなら、光岡の「オロチ」という車があったが。「スバル」もなかなか素敵な和名であるが、外国人にはウケるのだろうか? 

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2011年11月 1日 (火)

見た目が大切

   ホワイトボードのマーカーは、どれが使えてどれが使えないか、見た目で判断することは難しい。だからいくつもキャップをはずして、ボードに線を描いてみなければならない。ボールペンのように、なぜ一目で使えるか使えないかをわかるようにできないのだろう。ついでにもう一つ文句を言うと、どうしてマーカーでは字がうまく書けないのだろう。手が汚れても、チョークの方がよっぽどましであるように思えるのだが。
   外見で判断するな、とよく言われるが、外見は一つの指標なので、日常的なものはすぐに見た目で判断できた方が手間がいらないような気がする。何も芸術作品の鑑定をしろというわけではないのだ。
   ジャーナリストの須田慎一郎氏は見た目は暴力団関係者だが、話が面白いし、非常に丁寧な人らしい。江頭2:50も、普段は紳士的だし、被災地にすぐに駆けつけるなど、情に厚い人である。北野武の「アウトレイジ」に登場する加藤(三浦友和)は外見的には紳士的な感じだが、一番悪い奴だった・・・という具合に、こと人間が相手だと、見た目だけではわからないことが非常に多い。

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2011年10月31日 (月)

70億人ジャンケン大会

   パーティなどで、一人百円ずつ持っていて、ジャンケンで買ったらその百円をもらえるというゲームをやることがある。決勝で勝った人はその場の百円玉を総どりするのである。これを全人類70億人で実行したらどうなるだろう。
   金以外でも、リーダーを決めるジャンケンというものいいかもしれない。どうせ誰がなっても同じだ、などというようなリーダーをジャンケンで決めていくのである。これをドキュメンタリー映画にすれば、けっこう手に汗を握るシーンが撮影できるのではないだろうか。
   全人類で一つぐらい共通の風習があってもいい。世界中誰とでもジャンケンができれば楽しくなると思う。

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2011年10月28日 (金)

船乗りクプクプの冒険

   嫌々ながら宿題をしていた勉強嫌いの主人公、タロー君がふと手に取ったキタ・モリオ作「船のりクプクプ」という本は、最初の4ページしか書かれていないとんでもないインチキ本だった。ところが、タロー君はこの本の中に吸い込まれてしまい、、気が付くと主人公のクプクプになっていた。元の世界に戻るには、原作者に続きを書いてもらうしかない。そこで彼は、大男で気は優しくて力持ちのヌボーや意地悪な同僚、パイプ好きの老船長らと一緒に不思議な海を航海しながら、編集者から追われて逃げ回っている作家、キタ・モリオ氏を追いかけることになる。不思議な世界の海へ投げ出された彼らの前に次から次へと現れるめちゃくちゃな世界。
(wikipedia)

   亡くなった北杜夫の作品の中でも大好きな物語である。ストーリーの進行のいいかげんさから、作者は軽い気持ちでふざけて書いているのだと子供の頃は思っていた。そジャズのインプロビゼーションのように、あまり深く考えずに、次々と着想が生まれて出来上がった作品ではないだろうか。勝手に決めつけることはできないが。
   「異常な設定だが型どおりの物語進行」といったタイプのベストセラー小説やテレビドラマはあまり好きではない。「驚愕の結末」とう宣伝文句の作品で驚愕したことなんかない。

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2011年10月27日 (木)

未来が無いのだとしたら

   タイムマシンが可能なら、なぜ未来人がやってこないのか、という疑問があるが、たとえばもし明日10月28日に人類が滅亡するならば、この先永遠にタイムマシンは発明されることがないわけである。未来にタイムマシンが発明されるという主張は、「このまま人類の科学文明が右肩上がりで発展する」という安易な仮定に基づいているのである。

   ところで、次の2つに違いはあるだろうか。

①明日自分が死ぬとあらかじめわかっている。
②明日人類が滅亡するとあらかじめわかっている。

   自暴自棄になるにしても、①の場合は他人に迷惑がかかるか、かからないか、ということが問題となるが、②ならば皆で自暴自棄になれるだろう。世界中の核ミサイルを一気に発射してしまう、というのはどうだろうか。「そりゃまずいでしょ、いくら何でも」とたしなめる人もいるかもしれないが、その根拠は何だろう? だって、人類がことごとく死んでしまうんだから。

   B級SFならば、人類滅亡の噂で自暴自棄になった人類が核ミサイルのボタンを押す・・・実はそれが人類滅亡の直接の原因だったのだ・・・というオチにしそうである。

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2011年10月25日 (火)

ロボット犯罪者を罰することはできるか?

   ロボットを使った犯罪があったとして、ロボット自身は「悪気がない、そもそも自意識がない」ということで裁判を免れることができるだろうか。たとえば卑怯な自爆テロとして、知的障害者に爆弾を巻きつけて遠隔操作で爆発させるという方法があるそうだが、知的障害者自身には全く罪はないだろう。被害者の遺族も、その人物に対する哀れみを持ちこそすれ、憎しみを持つことはないのではないか? 第三者が推測できるような問題ではないが。
  では、もしロボットに自覚があったとしたら、罰することはできるのだろうか。それとも、そういう自覚を植えつけた設計者に罪があるのだろうか。

  ロボットの戦闘能力についてはどうだろう。現在の2足歩行ロボットなら、人間が勝てるかもしれないが、ターミネーターのようなハイパワーのロボットなら一種の兵器である。介護ロボットだって、人を軽々抱えられねばならないし、災害救助ロボットも相当のパワーを持たせなければならないわけだから、必ず人間以上のパワーを持つことになる。パワーを持たせた介護ロボットが暴力団の手先になる可能性だってある。自分にはパワーがあるが、それを人間を害することには使わない、という倫理をロボットに持たせることはできるだろうか。

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2011年10月23日 (日)

ホワイトノイズ

  アナログテレビにあって、地デジにないのはホワイトノイズである。ホラー映画の「ポルターガイスト」や「リング」ではホワイトノイズが効果的に使われていたが、室内照明としてアナログテレビを利用できないだろうか。もちろん、不気味な雰囲気を出す、という効果を求めてのことである。しかし地デジテレビしか見たことのない世代が増えると、「何も映っていない=ホワイトノイズ」というイメージがなくなり、何か不気味なものを読み取る、ということは無くなるかもしれない。デジタル放送でも時々「ホワイトノイズの放送」をしたらどうだろうか。

アナログテレビの利用法としてはナム・ジュン・パイクの「テレビ仏陀」のような使い方もある。

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2011年10月22日 (土)

不祥事

   不祥事とは元々は「あってはならない出来事」という意味である(“祥”はめでたいという意味である)wikipedia

   不祥事を起こした人に対する周囲のコメントは「あんな真面目な人が」というものが多い。しかし、今年は特に「想定外などという言葉を使うべきではない」という風潮が強くなっているから、管理者は真面目な人に対しても、ひょっとして不祥事を起こすかもしれない、と想定しておいた方がいいのだろうか。「真面目そう」はあいまいな基準であるから、ストレステストにかけて詳しく調べたりするわけだ。私の場合は金で釣られるより、ハニートラップにひっかかりそうな気がする。

生徒怒り、現場無力感…わいせつ教師続出の静岡
   静岡県で教師が生徒への強制わいせつ容疑で逮捕されるなど性的な不祥事が止まらず、県教育行政トップの県教育長が「万策尽きた」と発言する事態になっている。県教委は、懲戒免職処分を受けた教職員の氏名公表に加え、研修などの対策を打ってきた。
(読売新聞)

   「不祥事を起こしてはいけません」というお説教をする研修は、はたして効果があるだろうか? 

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2011年10月21日 (金)

南極エイトケン盆地

  月の裏側の南極付近にある直径約2500キロ、深さ約13キロに及ぶ月最大、太陽系内でも最大級の大きさのクレーターである。
シャクルトンクレーターなど、南極エイトケン盆地内で南極点に近いクレーター内部には、日が当たることがない永久影地域が存在し、そこには水が存在すると考えられており、人類の月の探査拠点の一つとなることが期待されている。
wikipedia

  NASAの月探査機ルナー・リコナサンス・オービターの観測によると、永久影の温度は摂氏マイナス238度以下で、太陽系でもっとも低い部類に入るそうだ。素人考えだが、ここに冷凍保存施設を建設することはできないだろうか。たとえば遺体の原型を保ったまま半永久的に保存したり、種子を保存したりすることはできないだろうか。地球環境は変動するので、月を人類の遺産の保管場所にしようという案である。人類が滅亡し、アフターマンの時代が来ても、かつて人類なる生物がいたのだという証拠を残すのである。人類が滅亡してしまったのに、それに何の意味があるのか、と言われると返答に困るが。

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2011年10月18日 (火)

映画の題材に制限はあるのか?

   2008年6月に秋葉原で起きた通り魔事件をモチーフにした映画『RIVER』が2012年3月より全国公開されることが明らかになった。メガホンを取るのは、映画『軽蔑』『余命1か月の花嫁』などの廣木隆一監督。福島県出身の廣木監督が東日本大震災後、真摯(しんし)に「映画を撮ること」と向き合い、脚本を変更して被災地での撮影も加えることにしたという作品だ。
Yahooニュース

   というニュースに対するコメントのほとんどが「秋葉原のあの事件は映画にしてはいけない」というものである。映画にの題材にしてはいけない、という基準は何だろうか。

   秋葉原の街を一人歩く少女。この街で起こった事件で恋人を亡くして以来、彼女にとって現実世界は実体を失っていた。やがて少女は地下道で暮らす若者と出会う......。心に傷を負ったヒロインの再生を繊細に描いた作品。風景を見事に切り取った撮影も素晴らしい。(東京フィルメックス)

   という内容らしい。映画を見ずに批判はできないが、そもそも、あまり見たくないかもしれない。たとえばマイケル・ムーアの「ボーリング・フォー・コロンバイン」は1999年に起きたコロンバイン高校銃乱射事件を題材にしたものであり、遺族の悲しみも癒えているとは言いがたいが、ドキュメンタリーである、という点で「この題材を選ぶべきではなかった」という批判は免れている。
   秋葉原の事件を、ドキュメンタリー作品にせずに、何で「心に傷を負ったヒロインの再生」のドラマにしたかったのだろうか。

   「スナッフフィルム」は娯楽用途に流通させる目的で行われた実際の殺人の様子を撮影した映像作品の名称だが、仮にあの事件の犯人自身が殺人の様子を撮影していたとしたらどうだろう。とても見る気はしないが、世の中にはそうしたものを好んで見る人もいるのかもしれない。

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2011年10月17日 (月)

ペルシャ猫を誰も知らない

監督 バフマン・ゴバディ   イラン映画

   出演者のほとんどは実在のミュージシャンたち。主役の2人は、撮影が終了した4時間後にイランを離れ、物語は彼らの実際の経験に基づいている。コンサートもCD発売も許されていないミュージシャンを撮影するために、ゴバディ監督は、当局に無許可でゲリラ撮影を敢行。デビュー作の『酔っぱらった馬の時間』からこれまでずっと、故郷のクルド地方を描いてきたゴバディ監督が、初めて大都会テヘランで撮影した作品となった。
   観客をまず驚かせるのは、“西洋文化を禁止する厳格なイスラム国家イラン”というイメージからは想像もできない、アンダーグラウンド音楽の豊かさである。ロック、フォーク・ロック、リズム&ブルース、ヘヴィメタル、ラップまで、この音楽を耳にすれば誰もが喜びを感じるだろう。ミュージシャンの中には、合法的にアルバムを発表しているアーティストもいるが、多くは当局の目をかいくぐりながら好きな音楽を演奏し、逮捕と保釈を繰り返しながらも、音楽をあきらめない若者たちである。
<公式サイトより>

   イスラム教徒と言えば、テロリストや宗教関係者しか知らなかったが、この映画でイラン人のイメージが少し変わった気がする。普通の若者が自由を求めて苦しみもがく姿が共感を呼ぶ。テレビ番組だとチェックがより厳しいだろうが、映画という形なら監視をかいくぐって、外国で紹介される可能性は大きいだろう。ネットやテレビには無い映画の利点かもしれない。
   たとえば北朝鮮で、悩める若者の等身大の姿を見せるような映画を製作したら、イメージアップにつながるのではないだろうか? 北朝鮮の首脳が本当に頭がいいのなら、「強面」や「子供のつくり笑い」は効果がないということに気がつくはずだ。韓流に対抗して、イケメン俳優やガールズユニットをデビューさせたり、人々の心情に訴えるような映画作品をつくるというのも一つの手かもしれない。
   北朝鮮のアナウンサーのリ・チュニ(女性)やチョン・ヒョンギュ(男性)の喋り方で笑いを取るネタがあるが、彼らを日本に引き抜いたりできないだろうか。

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2011年10月16日 (日)

東北三十六不動霊場

  週間文春10月20日号『菅直人 お遍路で煩悩全開「これで伸子に会わなくて済む」』という記事で、伸子夫人のコメントが載せられている。

 「『お遍路さんなんかしている場合じゃない。東北を回るべき』と知り合いから言われたんですよ。でも、それは菅の役割ではないと思います。野田さんの眼になる人は復興大臣もいれば、原発担当大臣もいる。前首相がそこらへん(被災地)を歩く、というのは、私には奇異です」

   ということである。「お遍路=四国」というイメージが強いが、全国各地でお寺を巡る旅は可能であると思う。政治の表舞台に出たくないというなら、せめて東北の霊場を巡られたらどうだろうか。東北三十六不動霊場なるものがあるそうである。週間文春のグラビアページでは、菅氏はいつも通りのヘラヘラ顔を見せているのだが、このお遍路さんは地震・津波の犠牲者の鎮魂という意味合いはそもそも無いのだろうか? 趣味?

東北三十六不動霊場は以下の通り

第一番 慈恩寺 慈恩宗 山形県寒河江市
第二番 大日坊 真言宗豊山派 山形県東田川郡朝日村
第三番 光明院 天台法流 山形県天童市
第四番 大樹院 天台宗 山形県山形市
第五番 龍覚寺 真言宗豊山派 山形県鶴岡市
第六番 荒澤寺 羽黒山修験本宗 山形県東田川郡羽黒町
第七番 普傳寺 真言宗智山派 秋田県秋田市
第八番 嶺梅院 曹洞宗 秋田県秋田市
第九番 多聞院 天台宗 秋田県秋田市
第十番 吉祥院 真言宗智山派 秋田県男鹿市
第十一番 玉蔵寺 真言宗智山派 秋田県山本郡琴丘町
第十二番 遍照院 真言宗智山派 秋田県大館市
第十三番 国上寺 真言宗智山派 青森県南津軽郡碇ヶ関村
第十四番 大圓寺 高野山真言宗 青森県南津軽郡大鰐町
第十五番 最勝院 真言宗智山派 青森県弘前市
第十六番 弘法寺 高野山真言宗 青森県西津軽郡木造町
第十七番 青森寺 真言宗智山派 青森県青森市
第十八番 青龍寺 単立 青森県青森市
第十九番 永福寺 真言宗豊山派 岩手県盛岡市
第二十番 長根寺 真言宗智山派 岩手県宮古市
第二十一番 福泉寺 真言宗豊山派 岩手県遠野市
第二十二番 興性寺 真言宗智山派 岩手県江刺市
第二十三番 西光寺 天台宗 岩手県西磐井郡平泉町
第二十四番 金剛寺 真言宗智山派 岩手県陸前高田市
第二十五番 観音寺 天台宗 宮城県気仙沼市
第二十六番 大徳寺 曹洞宗 宮城県本吉郡津山町
第二十七番 松景院 真言宗智山派 宮城県遠田郡小牛田町
第二十八番 瑞巌寺五大堂 臨済宗妙心寺派 宮城県宮城郡松島町
第二十九番 西光寺 真言宗智山派 宮城県名取郡秋保町
第三十番 愛敬院 本山修験宗 宮城県伊具郡丸森町
第三十一番 相応寺 新義真言宗 福島県安達郡大玉村
第三十二番 大龍院 臨済宗妙心寺派 福島県会津若松市
第三十三番 薬師寺 天台宗 福島県大沼郡会津高田町
第三十四番 円養寺 真言宗智山派 福島県白河市
第三十五番 徳善院 真言宗智山派 福島県東白川郡棚倉町
第三十六番 常福寺 真言宗智山派 福島県いわき市

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2011年10月14日 (金)

故人と話をする

   故人の声質、喋り方の特徴、方言、享年、いかにも言いそうなこと、などを登録すると、故人と喋れるというシステムを開発したら需要はあるだろうか。仏壇に組み入れてもいいが、ケータイの機能でもいい。いつでも故人に相談したり、なぐさめられたりするのである。完全にプログラムだけで実現できないなら、オペレーターが喋る内容を指示するのである。何らかの事情で、生前も直接会うことがなく、電話でやりとりをしていた相手が対象だとすると、ほとんど「相手が死んだ」という感慨もなしにやりとりができるかもしれない。
   著名人が亡くなったということを隠し続け、音声や映像だけで生きているように見せかけることは可能かもしれない。どうせ著名人は音声や映像を通じてしか知ることができないのである。オサマビンラディンやサダム・フセインをバーチャルに生かしておくのは危険かもしれないが、逆にオサマビンラディンの声で「ぼくは間違ったことをしたのではないかと思うのです」などと言わせたら、彼の信奉者をガッカリさせることになるかもしれない。

※北朝鮮の「親愛なる指導者、金正日同志」は極力露出を抑えれば、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」作戦が使えるのではないだろうか。

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