虚無猫物語 第二話 ドライアイスランド
ぼくが厄年になったときに会社から紹介された女はメキシコの女流画家フリーダ・カーロのように両方の眉毛がつながっていた。ドライアイスランド研修センター小会議室で、ヤカモト課長からいきなり見合い写真を見せられたのだった。
見合写真といっても、何人もの女のカタログのようなもので、犯罪者のように、正面からの写真と側面からの写真を載せているのだ。第一印象というのは大切だから、顔立ちがまずいなりにも笑顔で写真に写ればいいものを、皆ふてくされたような表情をしていた。
「フリーダ・カーロ」のページにピンクのポストイットがついていたのだが、たぶん、課長がつけたものだと思う。でも、なぜ課長はぼくが眉毛つながりが好みだなどと判断したのだろうか。
課長は巨体を揺らして自販機のコーヒーを2つ手に持ってきた。こんなことは今までに一度もないことだった。ヤカモト課長のあだ名はメガテリウム、絶滅した巨大なナマケモノの名である。奥さんがまた課長に輪をかけてデカい奥さんで…
「ウズベキスタン美人の特徴です」
ヤカモト課長は力説したが、写真の女は眉毛がつながっていることで、整っている目鼻立ちもすべて台無しになっているように、ぼくには思えた。
「今婚約すると特典があってねえ」
ヤカモト課長は私の耳元で言った。ひどい口臭だった。まるでナマケモノの臭いだ。といっても、ナマケモノの臭いなんかかいだことはないのだけれど。
「祝い金でも出ますか」
「そういうんじゃなくて、この娘の妹がついてくるんだけど」
カックーンとなってしまった。
「それが特典なんですか」
「一人と結婚するのも二人と結婚するのも同じでしょ? 」
「同じじゃないでしょ」
「いや、だいたい同じだね」
「眉毛がつながっているのも? 」
「よくわかるね。眉毛も含めてそっくりの双子なんですね」
「ウーン。それは結婚の条件なんですか? 二人と結婚するのは」
「先方の希望なんだけどさ」
「いくら双子とはいっても、重婚になりませんか? 」
「一応イスラム教徒だからいいんじゃないの? 四人まではいいというじゃない」」
「イスラム教徒なんですか? 」
「いやかね? それは偏見と言うもんだなあ」
「偏見だなんて。で、いつまでに返事をすればいいんでしょう」
「来週の月曜ということでどうでしょうね。今日は木曜日だから金・土・日でじっくり考えたらいいでしょう。もし断るなら次の人に回しますからね。といっても、君はもうすぐ厄年だから、この機会を逃すと…」
社宅に戻っても、相談する相手は猫しかいない。猫の名前はミームという。
「ついに来ました」
ミームはぼくが帰るなりそう言った。
「は? 来たって何が」
「召集令状です」(猫はここで敬礼の真似をしたが、ニャンコの手なので敬礼には見えず、どう見てもまねき猫である)
「猫に召集令状ねえ」
ちょっと言い方が小馬鹿にした感じだったのか、ミームはムッとした表情になった。
「日曜日に出征しますからね」
「提灯行列とかするのか? 」
「たかが猫ですから、そんなことはしなくても結構」
「徴兵検査を受けたなんて知らなかったな」
「巡回徴兵検査の車につかまってしまったんです。第三乙種だったんですが」
「お前は内臓が弱いからな」
「第三乙種なら徴兵されることはないと思っていたんですが」
「それだけ戦局が悪化しているというわけか…」
ミームはもともと表情の乏しい、第一印象の良くない猫なので、徴兵されたことが彼にとって嬉しいのか、悲しいのか、ということが全く読み取れなかった。
「実は見合をすすめられたんだが」
「あ、そう」
「どうだ、この写真だが」
ぼくは見合写真のコピーを懐から出したが、ミームは見向きもしない。
「どうだ、と言われてもですね。人間の女の良し悪しが猫にわかるわけはないです」
「眉毛がつながってるわけだが」
「知ったこっちゃないです。気に入ったら結婚したらいいでしょう」
「ちょっと冷たいんじゃないか? その言い方」
「召集令状が届いた日にそんな話はやめてください。いろいろと準備がありますのでね、失礼します」
そう言うとミームは自分の部屋に閉じこもって、ビョークの曲を大音量で聴いていた。ちょっと主人に対してひどい態度だなあ、と思ったけれど、猫に結婚の相談をする方もする方である。でも、猫のくせに四畳半一室を占領しているというのが生意気だ。ラジカセだって買ってやったし。少し甘やかしすぎだろうか。そう言えば、ぼくが以前飼っていた妄導犬も漫画本を買えだとか、余分な仕事はしたくないとか、いろいろと要求の多い奴だったっけ。
あれから何年経過したのだろう。それとも何十年なのか? 冷凍保存される前の記憶はあまり残っていないみたいだ。金沢ナントカ・・・何という名の猫だったっけ。とにかくあの猫にうまく言いくるめられて書類にサインをしてしまったんだ。友人の・・・何という名前だっけ・・・友人の寂しい死を見たことで、妙に気弱になっていたようにも思う。
今住んでいる社宅は「セシウム一三七の汚染が一平方キロメートル当り四〇キュリー以上」のセックス禁止地域にあるので、結婚したとしても猫に気兼ねしてセックスができないというわけではなくて、もともと自宅ではセックスはできない。(あ、何を言っているんだろう。そもそも猫に気兼ねしてセックスができないなどという人間がいるものだろうか)
もしどうしても子供が欲しい場合はドライアイスランド研修センター五階の性処理室を借りればいいということを聞いたが、そんな場所でセックスをしているカップルなど見たこともない。
現代人はセックス嫌いになっている。セックス休暇制度がせっかくあるのに、ほとんどの労働者が消化していないと言う。詳細な報告書が義務付けられているのも原因ではないだろうか。まあ、いずれにしろ少子化に歯止めがかからないわけで、猫に召集令状が来るのも仕方のないことなのかもしれない。
研修センターの視聴覚室では少子化対策庁の作成したアダルト・ビデオも見られるのだが、貸出し状況は良くないようだ。あんまりチャーミングな女優は出てこないし。少子化対策のためには、魅力的な女性を育成することが大切である。
試しにもう一度見合写真のコピーを眺めてみるが、どうしても眉毛つながりが気になってしまって、多分結婚したとしてもセックスはしないのではないかと思った。姉がだめなら妹で、というわけにもいかないし。双子だから女性としての魅力は同じようなものである。イスラム教では四人まで妻を持てるが、平等に愛することが条件だそうだ。
やはり結婚しない方がいいのだろうか。しかし少子化対策法が施行されて、厄年(数えで男四十二歳、女三十三歳)を過ぎても未婚の男女は処罰の対象となる。ぼくに残された時間はあまりない。
翌日。
悩みは深いのだが、悩みすぎて仕事が手につかないということはなかった。ドライアイスランド研修センターでのぼくの仕事は、一日中、回るプールの監視をすることだけなのだから。悩みが深い日は、悩みをかかえたまま監視をすればいいのである。
ここに勤めて半年になるが、監視中に監視台から立ちあがったことすらない。一度ぐらいは人形じゃなくて、人間相手に心肺蘇生法をやってみたいものだ。特にAEDで電気ショックをやってみたい。
数十年以上の時を経て復活したというのに、解凍者たちは一様に無気力だった。これでは何のために全財産をつぎ込んで冷凍保存となったのか、意味ないじゃないか。せっかく蘇生したのに、一週間後に潔癖湖で入水自殺した馬鹿が去年いたそうである。まあ、気持ちはわからないではないけれど。
長い冷凍状態にあった客たちは、蘇生が成功しても、しばらくはリハビリが必要となる。救命胴衣をつけさせて一日に一時間ずつ回るプールに浮かべるのである。
監視者は読書をしたり、ラジオを聴いたりすることは許されないので、一日中考え事をしている。監視は三十分交替で、配置換えとなるが、飽きないように、という会社の配慮なのだろうか。それとも居眠り防止だろうか。
言語学者のエディス・ボーンという人はスパイとして投獄されたとき、暗記していた詩を頭の中で翻訳し、六カ国語の辞書を頭の中で作り、旅行した世界中の都市を頭の中で散歩したそうだ。偉い人は何もなくても暇がつぶせるんだと思う。
ぼくが暗記しているのはキャッシュカードの暗証番号と九九ぐらいだ。子供の頃の記憶は飛んでしまっているし、外国へ行ったこともない。Hなことを考えたりしても、すぐ種は尽きてしまう。
そんなぼくにぴったりな暇つぶしは悩んだり、恨んだりすることなわけだ。世界があまりハッピーじゃないのは、皆が悩むように、という神様の配慮じゃないだろうか。
そんなわけはない。
神様自身、暇つぶしのためにこの世を創造したと思う。だって、ずーっと無の状態が続いたなら、何か創造したくなるじゃないか。
オレンジ色の救命胴衣をつけた男女が、延々とモーツアルトの曲の流れる室内プールを、ゆらゆらとエチゼンクラゲのように回っている。ぼくにはモーツアルトの曲はみんな同じに聞えるので、何という曲が流れているのかわからない。
モーツアルトの曲を牛に聞かせたり、キュウリに聞かせたり、酵母菌に聞かせたりすることがあるというが、ここでモーツアルトの曲を流すのも、何か医療上の理由があるに違いない。
監視椅子に座り、胸のポケットから何度も何度も見合い写真のコピーを取り出して眺めていた。あまり長く見続けていると、読書をしていると勘違いされてしまうのでちょこちょこっと見るだけなんだけれど。
相変わらず美人であるとは思えないが、愛嬌のある顔だよな、などと思えるようになっていた。しかし、まだOKの返事をする決心はつかない。相手がイスラム教徒ということにひっかかっていたのだ。当然ぼくもイスラム教徒にならなければならないし、一度入信したら死ぬまで抜けられないと言うし。ブタ肉は食べられなくなるし。面倒くさがりのぼくには一日五回の礼拝など無理だし、酒を飲めないという点もひっかかる。ぼくの唯一の楽しみは、家に戻って猫を相手に晩酌をすることだからね。酒が飲めないぐらいなら結婚なんかできなくたっていい。
巨体のヤカモト課長がアラブ人の見学者を連れてプールの傍を通ったが、ぼくの方には視線を向けなかった。気をつかっているのだろうか。何か後ろめたい思いでもあるのだろうか。
昼休み。
「やっと一日の半分が過ぎた」という感じだった。歳を重ねると、時間が速く過ぎるものだと言うが、ぼくの場合はだんだん時間の経過がゆっくりになっていくようである。退屈な仕事をしているからなのだろうか。
時間というものは、自転車操業なのだと思う。速くこげば速く進み、ゆっくりこげばゆっくり進む…ただし、こぐのをやめれば止まってしまう。疲れたからもうこぐのはよそうか、などと最近は弱気になっている。
昨日は猫の機嫌をそこねてしまったわけだが、朝起きたらちゃんとぼくの弁当をつくってあった。中にキャットフードを入れたおにぎりである。猫の手ではおにぎりは握れないので、ポリ袋に入れてグルグル振りまわしてつくるわけだ。
猫に弁当をつくってもらうことは有り難いやら、情けないやら…やはり嫁をもらった方がいいのだろうか。キャットフードは安いし、別に嫌いな味ではないんだけれど。
昼休みはそんなおにぎりを休憩室で一人ボソボソと食べる。
「アフタヌーンショー」でも見ようかと、テレビのリモコンをとったとき、
「あの、ちょっといいかな」
年輩の、ぶよぶよのイモムシみたいな解凍者が声をかけてきた。救命胴衣をつけたままの姿である。今プールから上がったばかりで、水滴が体からボタボタ落ちている。時々解凍者から相談を受けることがあるが、こちらが暇そうに見えるからだろうか。
「相談する相手がなくてね」
「はあ、でもぼくで役に立つとも思えませんがねえ」
「話をきいてくださいよ」
「わっかりました。じゃ、まず体を拭いて、椅子に座ってください」
男は不明瞭な発音で訴えはじめた。せっかく三十年ぶりに蘇生したというのに、生きる気力がまったく失せているのだそうだ。まあ、これは解凍者に共通の悩みなんだけれどね。男はズズズーと大きな音をたてて椅子を引き出して座った。
ツルツルに剃った前頭部には長さ十五センチぐらいの痣がある。マダガスカル島の地図にそっくりの痣だった。しかも首都アンタナナリボの位置には赤黒いホクロまでついている。
「死んでしまいたいですよ。何のために冷凍保存を選んだのかわからない」
「それは深刻ですな。おにぎりでも食べます? 」
男は猫の握ったおにぎりを食べはじめた。なかなかイケますよね、なんて言ってね。具は何ですか、と聞かれたが、何かの佃煮じゃないかな、などとごまかしておいた。
相談を受けた場合はカウンセリングのつもりで応対せよと会社から指示を受けていて、休憩室の壁には「カウンセリングの心得」の箇条書きがある。
一、なおそうとするな、わかろうとせよ
二、「だけどね」は禁句
三、心にささった串を抜くのがカウンセリング
四、原因探しはしない
五、カウンセラーはサポーター
指示をしたり、説教したりしてはいけないらしい。(第三条の「串」は「刺」の間違いだと思うのだけれど)
「実際、冷凍保存されてまで生き長らえたい、なんてぼくも考えていなかったのですが、色々ありましてね。ベネトナーシュという会社をご存知で? 金沢猫というのはまだ存在しますか? 」
「ええ、まあ」
「そうですか。あいつらは人間の死体をモノのように扱うんですよね。ハゲタカみたいな連中でしたよ」
「まあ、そうかもしれません」
「冷凍保存にたいしたお金はかかりません、なんて言ったくせに。蘇生したら借金がふくらんでいることになっている」
「まあ、戦争で電力事情が悪化したそうでして」
「なら冷凍を中断してくれたってよかったんだ」
「ニューロサスペンションという技術で頭部だけ保存すれば安上がりだったかもしれませんね。体の方を売って冷凍保存の費用にあてればね…」
「金沢猫はそんなことは言いませんでしたよ。リハビリを続けて回復したとしても、余生を借金漬けで過ごさなければならないと思うと…」
解凍者の愚痴は延々と続く。いちいち反論してはいけないのだが、まったくウンザリする。だってこっちが愚痴を聞いてもらいたいぐらいなんだから。
「現在の世の中は三十年前とあまり変わりませんね。むしろ退化している感じがする」
「リサイクル党の一党独裁ですからね、右肩上がりの発展を続けることは悪だという考え方なんです。フリッツ・シューマッハーという人をご存知? 」
「いえ」
「世界規模での禁欲主義が達成されれば平和と永続的生存が可能になる、と言っている人ですよ。それがリサイクル党の基本方針でもある。緑のレーニンがシンボルマークとなっていますが」
「共産主義? 」
「エコロジーとコミュニズムが融合して、エコミュニズムというんです」
「今は戦争中ですか? 」
「そうなんですよ。でも、あんまりそうした矛盾点を追求しない方が身のためですよ。リサイクル党の連中は猜疑心の塊ですから…あの、もうすぐ昼休みが終わりますのでね。プールの監視をしなければなりません。監視員もまた監視カメラで監視されているので、仕事を怠けたりできないんです。いえ、相談を受けることを面倒だと思っているわけではありませんよ。解凍者の方は何かとお悩みが多いだろうということで、ドライアイスランド社主宰のセミナーが今夜あるんですが、どうでしょう。どなたでも自由に参加できますのでね」
「ひょっとして東京ドームですか? 」
「は? いえ、違いますよ。東京ドームは三年前自爆テロで破壊されたそうですよ。私も直接は知らないんですがね。セミナーの場所はドライアイスランドの体育館です」
社宅に戻ると、ミームは山梨土産の信玄餅の入っていた小さな信玄袋に下着や歯ブラシを詰めていた。猫だから身の回りのものはたかが知れている。ラジカセから流れるビョークの音をちょっと下げさせた。
「日曜日にはまだ間があるだろう」
「気持を落ち着かせようとしてるんです。もう何度も出したり詰めたりしています。本も何を持っていこうか迷ってしまって」
ミームの蔵書は二百冊以上ある。お小遣いは一日十円なので、とても本を買う余裕はないはずであるが、書店で万引きしたり、図書館でパクったりするらしい。まさか猫が本を読んだりしないだろう、という思いこみが盲点となるのだろう、今まで一度も捕まったことはない。非難する人もいるだろうが、猫に道徳を求めてはいけない。
「大西巨人の『神聖喜劇』の主人公は確か入隊したとき広辞苑を持っていったんです。枕にもなる、とか何とか書いてあったようですが、猫の枕じゃ、もっと薄い本の方がいいでしょう」
「新約聖書は? ほら、英語の対訳本をもらったじゃない。あれなら猫の枕に丁度いい。あ、でも猫にまくらが必要なの? 」
「ギデオン協会の聖書ですか? 敵の言葉はいかんのじゃないですか? 」
「英語圏の国と戦争しているのか? 」
「F組のうち二つの国は英語圏ですから」
「今度の対戦相手とは何を巡って争っているわけ? 」
「反捕鯨でしたかね。まあ、何だっていいんです。戦争によって経済が活性化されればいいのですから」
「しかしね、いくら何でも猫まで徴兵するというのはね」
「猫の体重なら地雷に触れても爆発しないんです。同じ理由で少年兵を使う国もありますが、猫を使う方がよっぽど人道的だ、という理屈なんでしょうね。猫にとっては人道的ではありませんけど」
「猫の指だと引き金が引けないんじゃないか? 」
「これは噂ですがね、自爆テロをやらされそうなんですって。爆弾かかえて突っ込む肉迫攻撃です。クレージー・キャット・ボムと言われて恐れられているそうです」
「行きたくないのかい? 」
「こんなくだらない戦争で死んだら猫死ですよ。命をかけて守るべきものなんて私には何もありませんからね。信仰もないですし…」
「特攻はあくまで志願なんだろ? 」
「メタンフェタミン、いわゆるヒロポンですね。そういう薬を飲ませてその気にさせるらしい。猫目錠と言うそうですよ。気が大きくなって、特攻でも何でもやってやる,という気になるんだそうです…それより、私がいなくなったら昼飯はどうしますか? 社食はまずいんでしょう? 」
「そんな余分なことは考えなくていいよ。そうだ、明日は休みだからお前の大好物の石焼カルビビビンバを食べに連れていってやろう。『るるぶ』にのってたな」
「自己忠という店でしょ」
ミームは猫のくせに猫舌じゃないらしい。結局ミームは哲人皇帝マルクス=アウレリウス=アントニヌスの「自省録」を選んだようだった。
午後七時三十分からドライアイスランドの体育館で研修セミナーがあった。積極的に出たいというわけではなかったが、動員をかけられていたので、参加するしかない。昼間相談してきた解凍者は来ているだろうか、ちょっと気にかかった。
体育館に着いたときはまだ七時前だったので、ドライアイスランド社のハンドボール部が練習をしていた。実業団リーグで過去3回も優勝している強豪である。セミナーのために練習ができないということが不満らしく、わざとぎりぎりまで練習をしているのだ。これでは主催者が机を並べる時間もない。
ヤカモト課長がセミナーの責任者なのだが、ずいぶんイラついている様子だった。
「すみませーん、準備がまだできてませんが、出席をとらせてもらいまーす」
ヤカモト課長はぼくを手招きして、出席者のリストを渡し、チェックするように言った。七時の時報が鳴り、ハンドボール部がしぶしぶ練習をやめた。ぼくたちは急いでビニールシートを敷き、パイプ机を並べて会場づくりをしたのだった。
ヤカモト課長が、演壇の国旗と党旗の位置が逆だ! とパニくって叫んでいる。そうしたほんのちょっとしたことで党は難癖をつけたりするらしいのだ。
研修会の講師はリサイクル党本部から派遣された「細面美人に見せるヘア&メーク」の、自分では「十歳ぐらいは歳を誤魔化せてるかな」などと勘違いしていそうな女性だった。もの腰はやわらかそうだが、弁は立ちそうな雰囲気だ。
ヤカモト課長の講師紹介の後、細面美人風の女性は国旗と党旗に最敬礼をしてから演壇の前に立ち、満面の笑みで「よろしく」と斜め左にゆっくりと頭を下げた。ぼくはちょっとムカついた。最近はほんのちょっとしたことでムカつく。昼間ぼくに質問してきたマダガスカル島痣男は参加していないようだった。
講師のまくらの話は、自分の子供時代がどうだったとか、今の日本人はもったいないという言葉を忘れているとか、だらだらと喋るので、要点がつかめない。動員されなければ絶対に自分から聞きに来たりはしなかっただろう。
「ですから、一日一度は『もったいない』と言いましょうね。本当、おねがいしますよ」
いつの間にか、何だか変な約束までさせられていたのだった。
「それではですねプロジェクターの準備ができたようですので、ビデオ教材を使って学習いたしましょう」
照明が落とされた。助かった。これで居眠りしてもみつからない。スクリーンに映し出されたのはカーネル・サンダース風の巨体男だった。ずいぶん古めかしい感じの映像である。何やら説教をしそうな雰囲気である。説教に続いてまた説教だとしたら、出席者が飽きてしまうだろう。明らかに主催者の構成が悪い。案の定、ぼくは説教がはじまった途端に眠りに落ちてしまったのだった。気がつくと、説教は最後の部分になっていた。
…人生は繰り返し繰り返し再生されている。努力によって人生を変えるのはムダである。別のたとえで言えば、自分の現在の人生というものはだな、忘年会の宴会場に並べられたスリッパと同じようなもので、宴会が終われば誰か別の人間が履いていってしまうわけだ。しかし、自分がさっきまで履いていたスリッパに固執するのは馬鹿げたことだろう? 空いているスリッパを履けば済むことではないか…
「説教コンクール」で優勝した説教なのだそうだ。どこかで聞いたことがあるような気がしたが、はっきりとは思い出せない。冷凍される前の出来事を最近はほとんど覚えていないのである。冷凍保存される前の記憶がない、ということをついさっき書いたばかりのような気もするが、それすら覚えていられない。末期的症状だろうか。
ドライアイスランドは潔癖湖の中央にある。対岸のシブリバラの臓器市場までは木製のタマゴ・ボーロ橋がかけられている。長さは木製の橋としては東洋一で、時代劇のロケでよく使われるそうだ。
木の板が延々と続く橋の上に立つと、ムンクの「叫び」のポーズをとりたくなる。ほら、あそこでもカップルが「叫び」のポーズで記念撮影をしている。
じゃ、きまり事だから、と言ってミームに「叫び」のポーズをとらせてデジカメで記念撮影をした。戦死した場合の遺影も準備しておかないと…潔癖湖付近のお葬式で飾る遺影は大抵「叫び」のポーズをしている。他人事ではないので、ぼくの「叫び」ポーズもミームに撮影してもらった。すぐ画像を確認したが、晴天だということもあるのだろうか、二人とも「叫び」というより「ワオ」という感じだった。
橋の途中で緑の腕章をつけたリサイクル党のメンバーがティッシュを配っていた。ティッシュには「古釘も生まれ変われば陸奥長門」というようなレトロな標語が印刷されていて、国民のリサイクル意識の啓発を行っている。
リサイクル党の一党独裁支配がすでに十年続いているという。遺体のリサイクル法案が可決されたのは知っているだろうか。自殺は死体の不法投棄になり、厳しく罰せられるのである。自由に自殺もできない世の中になってしまった。世も末だ。
欄干に設置されたスピーカーから音の割れた国歌が響いてきた。
上を向いて歩こうよ。涙がこぼれないように…
明るいけれど哀愁に満ちた、いい曲である。昔のヒット曲を国歌にリサイクルしたらしい。欄干には「補充兵募集」のポスターが貼られていた。若い男女が天を指差して微笑んでいる構図だ。
橋の下には三メートルはあろうかという巨大な魚が群れていて、鯉のぼりが水中を泳いでいるかのようだった。
「ピラルクーですよ。オステオグロッスム目オステオグロッスム科ヘテロティス亜科の、世界最大級の淡水魚ですね」
黒縁眼鏡の書生風の男がそう言った。飼育係のようだ。初対面の人間に魚の学名を教えるとは、ペダンティックな、やな奴だ。あまり関わりたくないタイプだ、と思った。
「コイコイコイコイコイ」
と言いながら男はポリバケツの中の肉片をピラルクーに向かって投げていたが、「あ」と言って肉片の中から小さな塊を取り出した。
「金歯だ」
男はズボンで金歯をしごいてきれいにしてから作業着の胸ポケットにしまい込んだ。何だかいやなものを見てしまったと思った。
「ピラルクーは食べられるんですか? 」
ミームが飼育係に質問した。
「そのまま食べることはあまりないけれど、すりつぶして代用肉になるよ。キャットフードにも入ってるんじゃないかな。リサイクルだからね」
「ふーん」
ミームはしきりに感心していた。しかし、ピラルクーを食べることが何でリサイクルになるのだろう?
敵が撒いた伝単が欄干にはりついていた。伝単の文句はこうだ。
「地球にやさしい戦争を。この紙は再生紙を利用しています」
敵味方とも、国際世論を気にかけていて、クリーンな戦争であることをアピールしている。スポンサーに見放されたら戦争を遂行できないからね。伝単のコレクターは多く、レアな内容や、エロい図柄は高値がつくそうだ。敵もそのあたりは気にしていて、頻繁に内容を更新しているようだが、結果的にこちらを利する行為となっているのではないだろうか? 何のためにこんなものを撒くのか意味不明である。
「ぼくがもし戦死したら」
ミームはしみじみと言った。
「遺体科学研究会というところに献体してくださいね」
シブリバラの臓器市場は金持ちのアラブ人で賑わっていた。今日は歩行者天国となっている。アラブ人は豚の臓器を移植することを拒絶するので、人間の臓器を求めてシブリバラに殺到するわけだ。彼らが臓器の値段をどんどんと釣り上げるので、臓器売買は今やビッグビジネスとなっている。
街頭テレビが戦闘シーンを映し出しているが、誰も関心を払おうとはしない。わが国に都合のいい戦闘シーンは合成かCGに決まっているからである。円谷プロが特撮を担当しているそうだ。あまりにCGの技術が進歩しすぎて、誰も映像を信用しない時代になっているらしい。
怒った北朝鮮風口調のアナウンサーが早口で喋っている。
「この番組はご覧のスポンサーの提供でおおくりいたしました。ひきつづいて戦場好プレー珍プレー秋の祭典スペシャルを…」
負傷者を満載した無蓋貨車が高架線を轟々と走り抜けていく。迷子にならないようにミームの手をしっかりと握り、シブリバラ駅に隣接した臓器デパートへ向かう。
デパート内は小規模の人体パーツ屋がひしめき合っている。一間ほどの間口には値段票が所狭しと貼りつけてあるが、符丁で書かれているので素人にはさっぱり理解できない。
みすぼらしい身なりの男は臓器を売りに来たのだろうか。横柄なブローカーが男のシャツをまくりあげ、腹にマジックで絵を描いて内臓の位置を説明していた。
歩行者天国で配られていた臓器デパートのパンフレットをひろげてみる。
1階、2階 パーツ街
骨、骨髄、軟骨、皮膚、筋膜、硬膜、心膜、心臓弁、腱、靱帯、血管、鼓膜・耳小骨、気管・気管支、腱・靱帯…といったヒト組織パーツの専門店が軒を連ねています。店の主人と値段の交渉をして値切るのが臓器デパートの上手な買い物方法です。
3階 医薬品・民芸品街
民芸品店では人間の大腿骨からつくるチベットの角笛カンリン、人間の頭蓋骨からつくられる盃カパーラ、などが並んでいます。漢方薬コーナーでは滋養強壮のミルラドリンクが今大人気です。女性には美容コーナーがおすすめです。「眉毛をつなげてあなたもウズベキスタン美人に! 」
4階 レストラン街
フランス料理「ミニョネット」、南米料理「アンデスの聖餐」、猫料理専門レストラン「倫記」、石焼カルビビビンバの「自己忠」など、世界のグルメが楽しめる店がそろってますよ。
冷凍保存箱が積み上げられた急勾配の階段を登っていく。冷房がききすぎていて、腕に鳥肌が立っている。臓器デパートは迷路状になっているので、素人がうかつに踏み込むことは避けた方がいいという噂を聞いたことがある。迷い込んだ客のパーツがいつの間にか店頭で売られていたという都市伝説もある。
まだ十一時だったので、「自己忠」の客はまばらだった。YMOの「ライディーン」が流れている。別にレトロな感じを出そうとしているわけではなくて、昔の曲を使いまわしすることは、リサイクル党の方針なのである。
メイド服を着た猫のウェイトレスが注文をとりに来た。猫だから本物の猫耳をしているわけだが、何だか可愛らしくない。
とりあえず生ビールを注文する。ぼくは生ビールの大、ミームには猫用ジョッキを注文してやった。二才以上の猫はアルコールを飲むことが許されるのである。「自己忠」はペット同伴可だが、犬肉料理の補身湯(ポシンタン)などというメニューもあり、犬連れの客には不快感を与えるかもしれない。
「ノーパンにしますか? 」
注文が終わるとウェイトレスがそう言ったのだが、意味が理解できなかった。ミームがそっと耳打ちをした。
「ここはノーパン焼肉の店ですよ。ノーパンのウェイトレスが給仕するかどうかをきいているんです」
「ノーパンと言っても、猫のノーパンなわけだろ? お前、見たいか? 」
「あなたは見たいですか? 」
「猫のノーパンを見てもなあ」
「じゃ、やめておきましょう」
「それじゃ、おネエさん、普通のヤツで」
二つ隣の席にはサングラスをかけた猫の軍人とその飼い主らしい男が焼肉を食べていた。猫の胸には露天で売っていそうな安っぽい勲章が光り輝いている。
「軍猫功労章という勲章です。なかなかもらえないんですよ」
ミームは声を落として説明してくれた。彼らのテーブルで給仕しているウェイトレスはどうやらノーパンらしく、猫少佐は手鏡を使ってウェイトレスのスカートの中を覗き込んで興奮しているようだった。
ぼくたちは生ビールで別れの盃を交わした後、石焼カルビビビンバをたらふく食べた。遠慮しないで何杯でも食べろ、とすすめたので、ミームのお腹は太鼓腹になっていた。
ナプキンには戦艦や戦車のイラストが描かれている。クイズ形式になっていて、名称を当てれば自己忠の食事券が当たるそうだ。ぼくには全くわからないのだが、軍事おたくのミームはよく知っているようだ。
「これは戦艦トマト、これは駆逐艦アップル…」
「そんな名前なの? 」
「国民に親しまれるようにそうつけたのです。こちらは猫戦車。テロ対策用の無人戦車を改良したものです…それから」
全問正解したので、5回分のお食事券が当たったのだが、もうミームと二人でここに来ることはないのだろうなあ、と思った。
臓器デパートを出て、シブリバラの町を散策した。戦時中とは思えぬ、のどかな雰囲気だった。帽垂れ付きの戦闘帽をかぶった傷痍軍猫がミニサイズのアコーディオンで「燃えろよ燃えろ」を演奏している。なかなか達者な演奏で、傷痍軍猫の専門学校で習得したのだろう、とミームは言う。猫は人間と違って臓器市場もなく、恩給ももらえないから、お国のために負傷した猫もこうして苦労して生計をたてているのだ。
最近の流行なのか、眉毛つながりのメーキャップをした若い女性をたまに見かける。見合い相手の「フリーダ・カーロ」も単に流行を追っていただけなのかもしれない。
「死刑台通り」という、表示板があった。無料で配られる観光マップを手にした観光客が散策している。人気のスポットはやはり「死刑シアター」だ。死刑囚の臓器は臓器市場に出荷されるのだが、その死刑をショーアップして一般人に公開しているのだ。「恐怖の館」では首をチェーンソーで切断される擬似体験ができる。
土産物屋で一番の売れ筋は「死刑フィギュア」だと『るるぶ』に書いてあった。絞首刑フィギュア、電気椅子フィギュア、串刺しフィギュア、鉄の処女の模型、ギロチンの模型…死刑マニアが争って買うのだそうだ。
眉毛つながりの女が割引券を差し出した。香水の匂いがきつくて、おもわず「非国民! 」と言ってしまいそうになるが、よく考えると自分はそんなことを言うようなキャラではなかった。世の中が荒廃してくると、自分のキャラを忘れてしまうことがある。そうでもない?
「毎日十時と二時に死刑ショーがありまーす。よろしかったらどうぞ」
「絞首刑? 」
ミームがつぶやいた。死刑を見たそうな雰囲気である。
「日替わりで楽しめます。今日は絞首刑です」
眉毛つながり(香水つき)女が言った。
「一度電気椅子を見たいんだけど。本物が見たいの」
「ぼっちゃん、それは火曜日です。もう一度火曜日にいらっしゃいね。早くから並んでいれば最前列で見れますよ」
ミームのことを人間の男の子だと勘違いしているようだった。ミームは野球帽をスッポリかぶっているので、小さな男の子に見えたのかもしれない。女がくれた処刑スケジュールのパンフレットには、様々な処刑の日程が書かれてあった。
ビールがけっこう効いていて、ぼくたちはフラフラと歩いている。アルコールに弱いミームは道端で石焼カルビビビンバをあらかた吐いてしまった。吐いたらすっきりしたようだが、せっかく奮発して石焼カルビビビンバを食べさせてやったのに、思わず、
「もったいないなあ」
と言ってしまった。一日一度「もったいない」と言うのがセミナーの講師との約束だったね。でも、一度吐いたゲロを再利用することはできない。
潔癖湖に注ぐ腸江の水面がキラキラと輝いている。河岸は階段状になっていて、階段広場と呼ばれているそうだ。臓器売買の契約を結び、死を待つ人々が静かにたたずんでいる。お、あれは?
マダガスカル島の痣を持つ解凍者だった。解凍者は外出禁止のはずなんだが…ドライアイスランド社への支払いのために自分の臓器を売ろうというのだろうか。ドライアイスランド社がやっている事は、契約者を冷凍保存することではなくて、冷凍された臓器を供給することなのかもしれない。
解凍者が一様に鬱状態になって生きる気力を無くしてしまうのもおかしいといえばおかしい。何か細工をしているのではないか? もちろんドライアイスランド社でそんなことは口にはできないけれど。
「ねえ、見合いをするんだったら、ヨソイキが必要じゃないですか? ジャージしか持ってないでしょう」
元気を取り戻したミームが言う。確かに、休日でも支給された仕事着のジャージで過ごしているのだ。別に改まった席に出ることもないし、と思っていたのだが。
「見合いをするかどうかはまだ決めてないよ」
「そうは言っても、もうすぐ厄年ですから、いずれは見合いをしなければいけないでしょう」
ペットに説教されるのは抵抗があったが、確かにミームの言う通りなので、ジャスコに行くことにした。ジャスコ・シブリバラ店は旧海軍省の赤煉瓦づくりの建物を改装した巨大なショッピングモールである。アラブのオイルマネーが臓器売買を通じてシブリバラを潤わせているわけだ。
ジャスコの入り口で、初老の女性が署名をしてほしいと近寄ってきた。
「飼い猫を戦場に送るなというキャンペーンです。おたくのネコちゃんにも赤紙が? そうですか。この問題をどうお考えですか? 」
話が長くなると嫌なので、すぐに署名をしてやった。難しい話は嫌だし。でも、ぼくは必ずしも反戦というわけではない。戦争で大量生産される死体が臓器市場に供給され、どれだけ経済が活性化していることか。
「そちらのネコちゃんも、いかがでしょう。もし字が書けないなら肉球の手形でもよろしくてよ」
そんなことを言われてムっときたのだろうか。ミームは筆ペンをとってサラサラと署名したのだった。ぼくよりよっぽど達筆である。ミームはぼくの上着を引っ張り、「早く行こ」とせかした。ミーム自身も、別に反戦猫というわけではないらしい。
ジャスコの二階の一角が紳士服売場だった。春物売り尽くしセールということで、スーツを買うとさらにもう一着ジャケットがついてくる。ミームの見たてでベージュのスーツと、ラフな感じのブレザーを買った。薄給の身だけれど、普段キャットフードを食べて食費を切り詰めているので、こういう時に使うお金は持っているのだ。
ミームは自分の貯金でパットナム社の安眠空気枕を購入した。ミームは猫なのに仰向けに寝る癖があるので枕は欠かせないのだが、まさか今使っているソバ殻枕を持っていくわけにはいかない。空気枕は寝相の悪い人向けに、頭にベルトで固定する方式になっていた。
タマゴ・ボーロ橋をもう一度渡るのも芸がないということで、遊覧船でドライアイスランドに帰ることにした。
波止場ではネコバンド「キャッツ・ハンズ」がジャンバラヤを演奏していた。CとG7の2つのコードで演奏できるので、猫が演奏する曲目には必ず「ジャンバラヤ」が含まれているそうである。今日はリサイクル党主催のフリーマーケットがひらかれていた。
メイン会場ではリサイクル党員「青年の主張」コンクールが開かれている。スキンヘッドにしたリサイクル・ユーゲントの一人が熱弁を振るっていた。おそろいのリサイクル党Tシャツを着た連中は、動員された党員なのだろう。リサイクル党Tシャツはペットボトルのリサイクルである。
「私は新刊の本やCDを出版することに反対します。人生は限られている。なのにこれ以上出版物を増やす必要があるんでしょうか。これまで出版された書物や音楽や映像で十分じゃないですか。それですら一生をかけて鑑賞することはできないじゃないですか。もちろん、時代にそぐわない作品もあるでしょうが、その都度時代に合わせて微調整すればいいのです。著作権なんかいりません。科学だってそうです。ドラエもんから夢の機械を与えられても、のび太君は人間的には一向に進歩しない。しかも与えられた道具を使いこなそうともせずに、次から次へと新趣向のものにとびつくのです。人はなぜ最先端を求めねばならないのか。二番煎じはなぜ悪いのでしょうか」
ここでコホンと咳払い。
「思想もそうですよ。なんでこれ以上発展する必要があるのでしょう。少々間違っていたって皆が幸福ならそれでいいじゃないですか。問題なのは些細な細部にこだわることじゃなくて、人生に骨組みとなる説明を与えるということなんです」
「そうだ、そうだ」のシュプレヒコール。「主張」はまだまだ延々と続きそうな雰囲気である。ネコバンドの曲がレッド・ツェッペリンの移民の歌になった。「ジャンバラヤ」以外にもレパートリーもあったんだ。ヴォーカル猫が調子にのってヘッドバンキングをしてシャウトしている。
あああーあーあああーあー
何かイライラする演奏だった。ヴォーカル猫はヘッドバンキングのやりすぎでフラフラよろけてしまった。
遊覧船乗り場付近には立看の赤いゲバ文字が目につく。
「被抑圧種族よ蜂起せよ! 」
ヘルメット、ナッパ服、タオル覆面姿の猫がアジ演説を行い、支援者の猫たちが歓声をあげている。明らかにリサイクル党の「青年の主張」の妨害だろう。
「ここにー、結集されたぁー、すべてのぉー、学生、労働者、兵士の皆さんヒィィィィィン」
ハウリングを鎮めようとタオル覆面猫がハンドマイクを左右に動かす。通り過ぎようとすると、別の覆面猫がミームにアジビラを渡そうとした。
「君も平和祈念行脚に参加しないか? 一匹でもいいから行脚する会というのだ」
「お遍路さんか? 」
とぼけた調子でミームが言った。
「ナンセンス、ナンセンス、ナンセーンス! 」
支援者たちがわっと私たちを取り囲んでミームの軽口をいつまでもしつこく糾弾した。
「ナンセンス、ナンセンス、ナンセーンス! 」
でも別に暴力的な行為もなく、手刀で「道を開けてください」のポーズをすると、易々と通してくれるのだった。あまり根性のない集団のようだ。
フリマでミームが掘り出し物をみつけた。シンクロエナジャイザーだ。ミームは固辞したが、餞別代わりに買ってあげることにした。パッケージの宣伝文句はこうだ。(未開封なので骨董品としての価値は高いと思われる)
ヨガの行者が何十年もかかって到達しうる瞑想状態をわずか十五分で実現!
乱舞する光とサイキック・ビジョンの嵐!
幽体離脱の体験も可能にする衝撃のサイキックマシーン
戦場でマリファナなど吸わず、このシンクロエナジャイザーで心を落ち着けてほしいものだと思った。
遊覧船「白鳥丸」が出航した。鳥羽一郎の「兄弟船」がスピーカーから大音響で流れている。ドライアイスランドには三十分程度で到着するらしい。ぼくたちは後部デッキのベンチに腰を下ろし、湖を渡る心地よい風を頬に感じていた。
ぼくとミームは白鳥丸のマクドナルドで買ったダイエット・コカコーラ(L)を代わる代わる飲んでいる。石焼カルビビビンバを吐いてしまったミームには、さぞかし腹が空いただろうということで、フィレオフィッシュを買ってやった。
「いよいよ明日お別れだな。君にはいろいろと世話になった」
「いえ、とんでもない」
「猫の人生は短いが、無駄にするんじゃないぞ」
「皆さん、そう言いますが、できるだけ早く猫の人生を終わらせたいと思うこともあるんですよ」
「不幸だったと思う? 」
「いえ、猫としては恵まれていたと思いますよ。特攻も与えられた運命なら従いますよ。トラックにはねられて煎餅になるよりマシでしょうし。ただ、狭いところに閉じ込められるのが恐ろしい」
「拒否することはできないだろうか」
「拒否したら殺処分を受けます」
「殺処分? 」
「炭酸ガスによる窒息死です。動物の愛護及び管理に関する法律第四章第二十三条に、動物を殺さなければならない場合には、できる限りその動物に苦痛を与えない方法によつてしなければならない。とありますが、殺処分ではなかなか死にきれないようです。個人的には電気椅子がいいなあ、と思うんですけど」
「いずれにしても…」
「悲しまないでくださいよ。猫なんかに思い入れをしてはいけません。ぼくだって、自分の人生にさほど思い入れはないんですから。猫であること自体が苦痛なのです」
ミームがこんなことを考えていたのだと初めて知った。しばらく二人は無言で遠ざかりつつある湖岸を眺めていたのだった。戦艦や潜水艦がタミヤの七百分の一ウォーターラインシリーズほどの大きさに見える。
日曜日。いつもの調子で寝坊してしまった。ミームはもう出かけてしまったようだった。集合時間は八時。今は十時を回っている。二度と会えないだろうに、ぼくは何と薄情な飼い主なんだろうか。ミームは書き置きすら残していかなかった。その代わり、いつもと同じ、キャットフードを入れたおにぎりがテーブルに載っていた。
今更追いかけても遅いので、そのまま二度寝をしてしまった。ぼくの唯一の楽しみは眠ることなのだ。できれば冷凍されていた時のように、「羊水」の中で夢も見ずに眠っていたい。解凍なんかしてくれなくてもよかったのに。
月曜日。見合いをするつもりだと言う前に、ヤカモト課長の方から「先方に断られた」と言われた。ぼくは「フリーダ・カーロ」に断られてしまったのだった。会ってもいないのに何が悪かったのかと聞いても、ヤカモト課長は答えてくれなかった。年齢なのか、収入なのか、私が解凍者だからか、おそらくそういった類のことなんだと思うのだが。
「それでね、実は次の候補の話もきているのだけれど、断られた直後でそんな気はおきないだろうけど」
「でも、残された時間はないのでしょう? 」
「君にもプライドがあるだろうし」
「どうでしょうか。次の話というのは、私のプライドを傷つけるような相手なんですか? 私は別に差別主義者ではありませんし」
「そうですか。では写真を見せるけど、怒らないかなあ」
そう言うとヤカモト課長は先日の見合い写真よりいくぶん小ぶりのカタログを机の上に置き、黄色のポストイットをはったページを開いた。
猫の写真だった。
ぼくは一気に力が抜けてしまった。そうか、今度の相手は人間ですらないんだ。金沢猫はクローン猫なので、皆同じ顔に見える。メスなのか、オスなのかもよくわからない。多分メスなんだろうが、いくら何でも猫とセックスはできないだろうなあ、と思った。
「まあ、猫は嫌いじゃないのですけれども、やはり結婚となると…」
「そうだろうとも、じゃ、断わろうかね? 」
ヤカモト課長は本当にすまなそうな様子でそう言った。
「いや、ちょっと考えさせてください。いつまでに返事をすればいいんでしょう? 」
ぼくの言葉にヤカモト課長はあっけに取られたようだった。
「別に無理強いしているわけではないんだよ。ええと、3日後ではどうでしょうかね。水曜日には返事が欲しいんだけれど…」
最悪の精神状態でいつもの監視労働をはじめる。モーツアルトの曲が流れている。モーツルトの曲の中で唯一名前を知っている「レクイエム」だった。
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